鎌倉八百ヶ谷戸

鎌倉の街はそのものが環境遺跡

善財 一 写真集

朝比奈切り通しの機能

2020-04-13 08:43:58 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸
朝比奈辺りをうろついている
 
この下に朝比奈の切り通しがある
 
六浦は、経済的にも、あるいは海上を経て房総と結ぶという戦略の上において重要な地域であったが故、六浦から鎌倉に至る朝夷奈切通しの、守りのための機能も充分に考慮されていたと思われる。
実際に朝夷奈切通しを前にすると、なぜここまで深く切り込まれた道路にしなければならなかったのか、疑問が沸き上がる。幾度かの開削工事が行われたとしてもだ。朝夷奈切通しの峠に当たるところでも、また六浦側の入口辺りでも十メートルほどの断崖が続く。そして断崖の上部には平場が設けられており、切通しを進むであろう人々を見下ろす位置が確保されているのである。
いざ合戦となり、攻め来る軍勢を迎え撃つことを想定した場合、敵の頭上からの攻撃は頗る効果的だ。四百メートルほどの間に数か所ほどの迎撃可能な平場が存在している。さらに、切通しの所々居館が設けられていたと思われる開削された土地が存在する。
また、上総廣常の館があったとみられている朝夷奈切通しの鎌倉側の出口辺りも、切通しの上から見下ろすことが可能な構造とされている。切通しは鎌倉の入り口としての機能を持つ産業道路だが、一方で、鎌倉の出入りを厳しく取り締まることも想定されていたのであろう。
拡張工事がされずに現在でも古道としての佇まいを見せている名越、大仏坂、化粧坂の切通しは、路面の幅を極端に狭くし、階段部を設けて容易には通行できないような工夫をしていた。外敵の侵入を拒む通路であり、もちろん迎撃も想定した入り口に他ならない。
朝夷奈切通しは、産業道路としての機能を求めざるを得ないが故、他の切通しに比較して道幅も広く、馬や荷車の通行も比較的容易であったと思われる。この朝夷奈切通しは、鎌倉勢にとっては諸刃の剣でもあったわけで、そのために守りの要素も充分に備えていたと思われるのである。
 
 
この下も切り通しの隘路
 
 
朝比奈切り通しの途中
切り通しのすぐ脇に平場などがある
 
熊野神社
 
 
 


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