鎌倉の谷戸そのものを撮影している
朝比奈切り通しを見下ろせる高台
デジタルカメラの普及する以前は、4×5インチのカメラにブローニーのフィルムバッグを装填してやや横長の画角で撮影していた。現在はデジタルカメラで綺麗に撮れるようになったのでありがたい。
朝比奈切り通し
源頼朝が定めた大倉御所は現在の清泉小学校辺り。鎌倉時代初期の治承四年(1180年)から、承久元年(1219年)までの三十九年に亘る、武家政権にとっての中心である。
主たる街道は六浦道が東に延び、朝夷奈切通しを経て現在の六浦、金沢八景に至っている。六浦から金沢にかけては、江戸時代に金沢八景の景勝地とされたように小島が点在する天然の良港であり、房総など関東、国内だけでなく大陸との貿易を考えるうえでも重要な、海上交通網の拠点であった。それ故に、鎌倉と直接結ぶ六浦道は早くから開発されていたと考えられる。
朝夷奈切通しの開削は鎌倉幕府第三代執権北条泰時の命令で行われている。朝夷奈義秀が一夜にして開削したとの伝説もあるが、白山道や朝比奈切通しの南の山中を経て六浦に抜けていた古道もあり、北条泰時以降も度々改修工事が行われていた。脆弱であるが故、崖面は崩れ、あるいは路面の浸食が進み階段状になるため、荷車の通行を考えると度々路面を平滑にする工事を行う必要があった。
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