鎌倉における足利氏の活動拠点は、浄妙寺から東一帯。
鎌倉幕府が滅びて京に幕府が移り、東国支配の拠点として鎌倉公方邸が置かれたのが、現在の浄明寺の滑川北側。
家が建ち並んで公方邸跡など全く分からないが、山際が切岸とされ、山の中腹に立派なお屋敷があるのを見れば、平地だけでなく、谷戸の奥まで足利氏に近しい武士の邸が、公方邸を守るように点在していたであろうと想像される。
写真は、鎌倉公方邸があった辺りの背後の小谷戸。
現在は狭い谷戸に家が建ち並んでいるのだが、まだ家が建つ前の、空地であった頃から度々綺麗に咲いているイワタバコを見に訪れている。
だが、家が建って以降は、谷戸の斜面に植木鉢が置かれたり、外国産の植物が植えられたりしてつまらない景色に変わってしまって・・・・。
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