鎌倉八百ヶ谷戸

鎌倉の街はそのものが環境遺跡

善財 一 写真集

北条政村邸

2020-04-15 21:28:38 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸
 
たちんだい、一向堂、殿入、常盤などの地名が残る御所ノ内には、北条政村、同義政の居館があったとされる。東の朝比奈に対して、この辺りも比較的宅地開発が進んでおらず、谷戸が分かり易い状態で遺されている。
長谷隧道を抜けた最初の谷戸。谷戸の口は比較的狭いが、かなり奥まで続いている。おそらく佐助稲荷の裏手から尾根に通じる道があったのだろう。
 
 鎌倉の西側の守りは、北条政村邸のあった御所ノ内が知られているが、いくつもの谷戸が入り組んでいる桔梗山と一向堂のある仲ノ坂、笛田の常盤砦のあった辺り、一帯が宅地化されてしまった梶原辺りが要であったようだ。中でもタチンダイと呼ばれている平坦地は、一度は訪れておきたいところだ。街道から谷戸の奥に向かって百メートルほど進むと数メートルほど一段高くなり、さらに奥へ五十メートルほどの広さがある谷戸の空域で、最奥部には、開削によって垂直に切り立つ崖面に設けられたヤグラが遺され、その背後には桔梗山が迫っており、現在では昇るための道や石段などは見つけられないが、当時は桔梗山へと続く石段が設けられていたと思われる。
この平地こそ、開削によって造り出された谷戸の典型。階段状に平地を構成し、山際を掘り込んで谷戸の面積を広く取り、しかも平地の傾きをなくしている。それ故、最奥部は切り立つような崖面となる。背後の山から伸びる尾根は谷戸を抱き抱えるような城壁となっており、城壁の所々に平場と呼ばれる小さな平地が築かれている。確かに守りの要素が濃密だ。
因みに、現在は街道に面した辺りからだらだら道が、谷戸を抱きかかえるような尾根に沿って設けられており、踏み分け道程度の尾根道が桔梗山へと、また山中を経て佐助稲荷や銭洗弁天へと続いている。
 現在は隧道によって藤沢方面から鎌倉駅まで道が続いているが、当時は政村邸の辺りで行きどまっており、敵軍がたとえこの街道を攻め込んだとしても、背後から挟まれれば身動きが出来なくなる恐れがある。いわば袋小路である。
ただし、山中に分け入れば、南には一向堂を経て大仏坂に抜けられる道があり、北には佐助稲荷や源氏山に通じる尾根道にも出られる。こうした尾根筋を利用した交通網は、入り組んだ山襞を持つ地域に特徴的なものと言えよう。
 
たちんだいの入口
 
たちんだいのやぐらが印象的。本来やぐらには木戸が設けられており、このようには見えなかったはずである。
 
たちんだいの最奥からの眺め
 
 


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