鎌倉八百ヶ谷戸

鎌倉の街はそのものが環境遺跡

善財 一 写真集

十二所 東泉水ヶ谷の辺り

2020-12-19 22:02:22 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集

 

十二所果樹園の南側の尾根を通る古道は、現在は逗子清寿苑の北側に降りる道程だが、かつては、最後の尾根に沿って明石橋の方へ向かい、大江広元の邸跡の背後にある山襞の裏に降りていた。

金沢街道に出るのではなく、裏手に出るのだ。

現在は、すごいことに、大江広元邸跡の背後の山襞の端のかた辺りが削り取られてしまい、ハイランドの団地へ向かう道になっている。

そもそもハイランドそのものが、明石山から浅間山、岩殿寺の背後までの山を平らかにしてしまった土地開発だ。

かつて、鎌倉の谷戸が山際まで掘削されて利用されたり、山の上に平場が設けられたりしたことなどは、なんと規模の小さな土地利用であろうか、と比較してしまう。

「一所懸命」の言葉が大きく解釈されて土地開発へと進んでしまった。

その痕跡、山襞の端部が離れ小島のように明石橋の近くに小さな山として遺されている。

明王院前のバス通りから眺めると、小山にヤグラが口を開けているのが分かる。

東泉水ヶ谷の辺りだ。東泉水ヶ谷は名称だけで、谷戸の痕跡はほとんどなくなっている。

明王院前のグリーンテニススクール入口辺り。

右奥が梶原氏の邸跡と言われている。

明王院の背後も切岸状に掘削されているが、ここも山襞が屏風のように切り立っている。



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