光明寺の前辺りが材木座。
材木座の名称の通り材木を扱う座が置かれたからと考えて良いだろう。
和賀江島もあって民家が密集していたという。
南北朝時代には佐々木氏が邸を構えた。
鎌倉にとって重要な場であったようだ。
住吉城の真下が和賀江島。
和賀江島は、大陸からの船が停泊できる人工の島であったという。
現在は海中に遺されている礎石が、干潮時に姿を見せる程度。
ちょうど干潮であったため、ごろごろ石の上を歩いてみた。
ごろごろ石は、鎌倉で産出する鎌倉石ではない。
人工島、和賀江島の基礎を成すためには硬質な岩を用いなければならない。
鎌倉石は余りにも脆弱であるため、礎石にはならない。
ただし、鎌倉の谷戸を掘削した際に出てきた岩や土を、和賀江島の表土に用いたかもしれない。
だがそれらは水に侵食され、遺されていないだろう。
また、和賀江島に大陸からの船が停泊したとは思えない。鎌倉の海は比較的浅い。
沖に船を停泊させ、小舟で荷を下ろしたのであろうか。
大型船の寄港地としては六浦が有益であろう。
何かしら見つかるかなとも期待していました。
しかしこの日は暑くて、早朝の撮影でしたが、早々に逃げ出しました。