切り通しとは、朝比奈の切り通しや名越の切り通しのように、鎌倉へ入るための山越えを容易にするため、山の頂の一部を切り崩して通路としたもの。現代であれば重機を用いて容易に道路を作ってしまうが、古くは手作業で掘り進まねばならなかった。もちろん鎌倉は脆弱な凝灰岩質砂岩や泥岩質であり、硬質岩からなる他の地域に比較して掘削が容易であったから、各所に切り通しが設けられることとなった。鎌倉七口と呼ばれている朝比奈、名越の他、巨福呂坂、亀ヶ谷、化粧坂、大仏坂、極楽寺坂の要路がそれである。
以上は鎌倉における一般的な切り通しの説明だが、このほかにも切り通しと呼ばれているところがある。手広の青蓮寺近くの谷戸坂の切り通し、高野公園近くの長窪の切り通し、多門院近くの高野(大船)の切り通しなどが有名。
谷戸坂の切り通し
現在は通行ができない
まず谷戸坂の切り通しについて。現在、青蓮寺の東側はバス通りにより視界が広がっているのだが、青蓮寺はかつて山に囲まれた谷戸にあった。大船と腰越を結ぶこの道路が着工されたのは昭和32年という。それまで、腰越から手広に至るには、山越えか境川沿いを経る大回りしかなかった。いまも腰越から手広に向かって歩いてみれば分かるのだが、だらだらとした上り道が、谷戸坂のある辺りで急にきつくなる。そのため、最後のきついところに切り通しを設けたのであろう。即ち谷戸坂の切り通しは七口と同じ意味合いの通行を容易にするための切り通しである。ただし、設けられた時期についてはよく判らない。
では長窪の切り通しについて。確かに小山を切り裂いて通路とされているが、周囲の地形からして切り通しなど必要もなさそうである。鎌倉七口の意味合いとは異なり、江戸時代に玉縄城の支城として砦が各所に設けられたことに関連しているのではないだろうか。即ち、砦の一部、城郭の一部、攻撃と防御のための施設と考えると理解し易いのではないだろうか。
長窪の切り通し
この先の出口が道路で寸断されているため原形がよく判らない
道路の辺りが尾根筋であれば尾根に出るための切り通しであろう
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