御所ヶ谷奥
室町時代、武家や社寺の領地に関する問題が各所で起きている。
土地は社寺などに寄贈されることがある。管理する者が、領主の思惑で代ることもある。
権力構造が変わると、それら以前に行われた領地管理が一変する。
加えて土地の横領があった。
武力で奪取するわけだ。
横領は、裁判所に提訴すれば、審議されて返還されることもあれば、戻らないこともある。
権力構造によって、限られた土地の所有権があっちへ行ったりこっちへ行ったりと、目まぐるしく変わった。
ではその時、農民はどのように扱われたのだろう。
例えば北条家の先祖が開発した土地を室町時代に足利家が領地としたわけだが、農民はそもそも北条家に関わりのある人々であったに違いない。
農民も足利家の農民にそっくりそのまま入れ替えられたのであろうか。
広町緑地には、掌のように幾つかの谷戸が遺されている。
支谷戸の呼称もそれぞれにあったようだが、竹ヶ谷、御所ヶ谷などが知られているのみ。
下の写真は冬場に撮影した竹ヶ谷の様子。
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