《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てください)
水たまりのような小さな池ができている。
ホタルやカエル、トンボ、ヤゴなどがいて夏は谷戸全体が子供たちの自然観察の場となっている。
谷戸の地形や構造などを観察している当方にしてみれば、藪化していて単なる湿地にしか見えないのが残念。
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水たまりのような小さな池ができている。
ホタルやカエル、トンボ、ヤゴなどがいて夏は谷戸全体が子供たちの自然観察の場となっている。
谷戸の地形や構造などを観察している当方にしてみれば、藪化していて単なる湿地にしか見えないのが残念。
《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集(PCの大画面で見てください)
新林公園や川名の谷戸と同様に湧水が多いことは度々説明している。
御所谷のように湧水を川として処理している場は比較的乾燥しているが、基本的に谷戸は湿地である。
御所谷に対し、竹ヶ谷戸の土地には手を加えないで遺そうと考えられているようだ。
自然の様子が観察できるよう、竹ヶ谷戸の中央に遊歩道が設けられている。
冬の霜が降りた頃は、これが滑るんだ。
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二十数年前、広町緑地に宅地開発の話が持ち上がった。
鎌倉の中心部の景色とは異なるが、今は遺されているだけでありがたい。
御所谷の一部では、現在でも水田や畑を営んでいる。
御所谷の最奥は、蕎麦で有名な檑亭のすぐ下。
整備された遊歩道を歩いていると、所々に小さな谷戸があることに気づく。
人の手が入らなくなって湿地となっている場合が多い。
谷戸の北側の山の上は宅地が迫っている。
一方、南側は山襞が入り組んでいる。
この山が崩されずにすんだため、自然が観察できる環境が遺された。
竹ヶ谷戸の奥に「きはちの窪」と呼ばれる10メートルほどの小谷戸がある。上の写真。
やはり湧水の谷。
きはちは人の名前のようだが、何を意味しているのだろう。
夏は草木が茂って分かりにくいので、冬に撮った竹ヶ谷戸最奥部を紹介する。
大きな画面で見てほしい。
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さて、東の端から西に移動する。
腰越から津村を流れる神戸川に沿って北に進路をとり、山を越えると手広村。
谷戸坂の切り通しを経るか、尾根を経て女坂の切通を下り手広に出る。
その途中に水田が広がっていた。今は宅地。
高台の端に、小さな公園とされている御所五郎丸の邸跡がある。
御所五郎丸は源頼朝の時代の武士。
富士の巻狩りの際に起きた曽我兄弟の仇討ちで活躍している。
平坦な土地は、古くは水田であったろう。
水田は東の谷戸へと広がっていた。現在の広町緑地の一部である。
山襞に抱かれたような広町緑地は、御所谷、竹ヶ谷、小竹ヶ谷などの大きな谷戸からなる。
里山といった風情で昔の環境が遺されている。
コナラであろうか、古樹が涼し気な陰りをつくっている。