東洋のエジソン「国友一貫斎」と「国友鉄砲鍛冶」
国友一貫斎が作成した「反射望遠鏡」
「国友鉄砲」
国友鉄砲の歴史は、1543年にポルトガルから種子島へ2挺の鉄砲(火縄銃)が伝えられ
1挺が薩摩へ、もう1挺が1544年に足利将軍の命により、長浜市国友に伝わり
70軒の鍛冶屋と500人を越える職人がいたそうです。
そして、1549年に織田信長から500挺の鉄砲の受注を受け、
1575年に信長が「長篠の合戦」で国友鉄砲を取り入れました。
館内に、本物の「火縄銃」や「火縄銃ができるまで」の資料があります。
資料館前の溝蓋も火縄銃のデザインでした。
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