5日の中国新聞に「起立性調節障害」が特集されていました。
私の姉妹にもいたはずと思って母に確認したのですが、
「そうやったかな~」という返事。
つまり長引かなかったから、親として記憶に残るほどしんどい思いもせずすんだということでしょうか。
今頃は医学が特に精神医学が発達したので、色んな症状に症状名や病名がついて、名前がついたら安心するような、逆に諦めてしまうような、そんな時代ですね。世の中がこうあるべきだ、という優等生のフォーマットがあって、そのフォーマットにはまらない人や生き方をとやかく言い過ぎるので純粋な子供たちにとっては生きるのがしんどいことでしょう。
何度も話題にしていますが高校入学以降文系理系のどちらなのかを意識しないと「いけないよ」という発想もそうです。どこかの予備校講師か誰かが、「こんな時代だからこそ決めないといけないんだよ」と述べていましたね。
そうなの?そんなに今までのことを踏襲するだけが教育なの?
高等教育を受ける人間がほんの2種類に分類されるっておかしいやろ、
というところから始めませんか。
取材費もらったからと言って陳腐なこと言うなよ!
日本の食料自給率は低い上に近隣の国と仲が良いわけでもない、ということは
もっと第一次産業に優秀な人材を送り込むべく教育の中身を変えていくべきなのではないでしょうか。商業高校や工業高校、農業高校大事だと思います。もっと時代に合わせてカリキュラムに工夫が必要であって、決して時代遅れでないと思うのです。
普通科でテストテストで追い立てても、さして優秀な人材たくましい人間性は育ってないのでは?と思います。韓国も大学卒業したところで就職して自活していくのは大変だとか。女性の社会進出を、と言っても女性が家事育児と外での金儲けと両方やらされ疲弊しているだけの男女共同参画社会なんかいらんと思います。
コロナでステイホームが長引いたら、外へ出て遊んでばかりの人間が少しはじっくり物を考えるようになったのなら生き易い社会になるのになあと思った秋の一日でした。
私もストレスたまってるなあ。。。。。