冬桃ブログ

「寿」通い。

 寿町は釜ヶ崎、山谷と並んで
日本三大ドヤ街のひとつと称される場所だ。
 簡易宿泊所が建ち並び、職業安定所がある。
 みなとみらい、港湾、ベイブリッジ、海浜埋立、
郊外の開発など、現在の横浜を代表する場所で、
ここの住人だった人の多くはもっとも過酷で
危険な現場の肉体労働を担ってきた。

 仕事が終われば、今日の苦しみを忘れるため、
酒や博打やクスリに溺れた。
 そんな日々を重ね、気がつけば、帰る故郷も
寄り添う家族も失い、老いて病んだ心身だけが残っていた。
 そんな状況で、この町に居つくしかなかった人も少なくない。

 横浜の戦後復興を底辺で担ったとはいえ、
どこにもその人たちの名前は残っていない。
 それどころか「ドヤ街の住人」として
差別さえ受けている。

 ここと関わり始めて、もう15年くらいたつだろうか。
 関係していたNPOがなくなり、拠り所がないまま
しばらくご無沙汰していた。
 でも私のホームドクターは、ここの人たちを多く診ている
クリニックの院長だ。
 最近、「看取り」の取材を始めてから、また通うようになった。
 そうしたら、杉浦裕樹さんと、何度もばったり会うことになった。

 杉浦さんは旧知の人で、NPOコミュニティデザイン・ラボの
代表理事を務めている。
 そしてこのラボは、今年の6月にリニューアルオープンした
横浜市寿町健康福祉交流センターにある「ことぶき協働スペース」
の運営を受け持つことになったという。

 で、その、ばったり会った時の話で
「釜ヶ崎の女性詩人が、住人のおじさんたちと一緒に来て
トークをしてくれることになったんです。聴きに来ません?」
 というお誘いがあり、喜んで出かけて行った。

 着物を着て帽子をかぶり、足には靴、といういでたちの
詩人、上田假奈代さんは、釜ヶ崎でゲストハウスやカフェを
NPOとして営み、ドヤのおじさんたちも通う釜ヶ崎芸術大学まで
開設したという凄い方。お話もたいへん興味深かった。
 なぜか私も途中からトークに呼び込まれ、とぼしい体験を話すはめに。
 
 私もドヤのおじさんたちと同様、身寄りのない高齢者。
 どういうふうに最期を迎えたらいいのかと迷う悩む今日この頃だが
釜ヶ崎には、そうした人たちの「見送り会」という
組織があるという。
 ではなんとかして今年中に釜ヶ崎へ行ってみたい。
 なにより自分自身のために……と思い決めた。

 寿町にある昔ながらの簡易宿泊所。



 隣にはスマートで新しい宿泊所が!



 協働スペースで開催されたトーク。
 正面、左が杉浦さん。参加者の後姿を挟んで
右が上田假奈代さん。


 

コメント一覧

yokohamaneko
福岡さん
コメントありがとうございました。
翁町ですか。寿とはおめでたい名前繋がりですね。
とはいえ、私、すさまじい方向音痴。
何年間も通ってるというのに、寿の中で
目的の場所にまっすぐ行けたためしがありません。
いろんな人に道を聞いて、やっと辿り着きます。
寿の外だともっとわけがわからない……。
福岡豊治
最近、いらっしゃってるんですね。
おいらの会社は、翁町の楽と言う画廊の横の大岩ビル、1階が大家さんの肉屋さんでそこの2階に事務所を間借りしています。疲れたら、姪っ子のいる事務所なら、ちょっとはゆっくり出来ますので、気軽にお立ち寄りください。
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