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先祖を探して

Vol.218 火神殿内で分かったこと

”今帰仁の先生”と私が勝手にお呼びしている沖縄の歴史研究家の先生がいらっしゃいます。先生のご研究の中で、当家の先祖に関わりがありそうなことでどうしてもお聞きしたいことがあり、お問い合わせしたとこからのお付き合いさせてもらっております。とても丁寧に親切に教えてくださって、いつも大変勉強になると共に感謝しております。
実は先日、お爺様の記録をみていましたら、この今帰仁の先生のご親族であった故・島袋源一郎先生との繋がりを発見して大変驚いた次第です。

島袋先生は沖縄県国頭郡今帰仁村のお生まれで、大正・昭和期の教育者・沖縄の歴史研究家として、沖縄県での第一人者であった方です。
当家のお爺さまは、この島袋先生の著書を随分と参考にしながら、当時に先祖調査をしていたようです。
当家の古文書の1つである「世之主かなし御由緒書」の翻訳版を活字で本に初めて収録されたのが島袋先生です。『沖縄県国頭郡志』沖縄県国頭郡教育部会、1919(大正8)年7月発行に掲載されています。どういった経緯で当家の古文書が先生のもとに渡ったのか、そのあたりは定かではありませんが、当時の研究家の先生に歴史的な資料の1つとして扱ってもらえていたことは、大変嬉しく思います。
そんな経緯もあるので、お爺さまと先生が面識があったのかと調べてみましたが、そこはお爺様の記録からは見つけ出すことは出来ませんでした。
お爺さまは昭和27~28年に沖縄に滞在し、琉球の歴史など含めて調査をしていたようですが、先生は昭和17年に他界されていますので、この時には会うことは出来ていませんね。

私は今帰仁の先生が島袋先生のご親族とは知らずにコンタクトを取らせてもらったのでした。後々に聞いてちょっとびっくりした次第です。何だかご先祖様が引き合わせてくれたご縁なのかもしれないなと、勝手に感激しております。

話は本題に入りますが、Vol.215で書いたお爺様の記録にあった火神殿内のことで、今帰仁の先生から色々とご教授頂きましたので、私が調べた内容とあわせてまとめてみました。


火神殿内について

火神とは、漢字の通りで火の神様ということですが、沖縄では三つの石を台所に三角に置き祀るようです。昔はその石の上に鍋を置き料理を作っていたので、竈石とも言うそうです。そこに神がいるというより、火を使って食べ物を炊き、先祖代々火を使って食事をさせてくれている事への感謝を示しているのだと。先生はその感謝を神にたとえて火神と呼んだと捉えていらっしゃるそうです。
水神も同様に、井戸や湧泉の水で生かしてもらっている事への感謝だと考えられているそうです。
そういった火・水そして空気は人間が生きていくうえで必要な物であり、それは人間が作り出したものではなく、自然界に存在するもの。その火・水・空気を模して海や川の石を使って竈の形に三角に置いたようです。
竈は生きるために必要な食べ物を作る場所であり、食事を作れること(食べれること)への感謝の気持ちをこの大切な竈に示し、火神と呼んだのでしょうね。
また、竈では命の維持に必要な食べ物の用意を行うほかに、そのほの暗さが霊界に通じるためのあの世に近い場所として信仰の対象となってきたのだそうです。一説には火神は天や竜宮(海)にもつながると考えられていたりもしたようです。

この火神を分かりやすく例えるならば、各家庭にある火神は、天の神様がいる役所の出張所みたいなもので、各集落にある火神は出張所を取りまとめる町役場や県庁みたいなものだったようです。別の集落へ引っ越しをした場合は、まずは集落にある火神殿内へ「新しくここの地域に住まわせてもらいます。これからよろしくお願いします。」とご挨拶(住所登録)をするようなもので、もっと大きな事を「こんどXXをしますので、よろしくお願いします。」と申告しに行く国の役所みたいなのが、もっと大きな御嶽だったりしたようです。 
そして沖縄において火神をお祀りするのは女性の役割であり、仏教や神道がもたらされるより以前から信仰の対象となっていたため非常に格の高い神さまといえるそうです。

そういった背景を考えると、当家にあったという火神殿内は、四季毎の祭りごとをしていたというので、家庭にあったというより集落の火神として機能していたものではないかと思われます。もしかしたら今帰仁の火神殿内のような役割だったのかもしれません。
そして火神をお祀りするのが女性の役割であったのなら、家庭用であれば家の奥様がやっていたのでしょうが、集落用であったのならば、ノロと呼ばれる存在の人がいたのかもしれません。
残念ながら当家にはノロの遺品や伝承が残されいないので、もしかしたら以前にも書きましたが、世之主の母親の家系でありノロの家であったと言われている要家との関係が何かもっと深かった可能性がありますね。
以前に要家の奥様と電話でお話しさせて頂いた時に、奥様が「要家は世之主の父親の家系だと聞いていいる」とおっしゃった言葉がずっと気になっています。
伝承では、要家は世之主の母方の家系はず。奥様はご高齢のため、何か勘違いされているのかと思い、何度も聞き返しましたが、やはり父方の家と聞いていると。
この火神殿内にいたかもしれないノロのことなどを考えると、真実は伝承と大きく違う可能性があるなと思った次第です。




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