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先祖を探して

Vol.59 薩摩藩の御流儀と称された示現流

『示現流』とはご存知ですか? 
私には馴染みのない言葉で、叔父にこの言葉を聞いた時には何のことだか分かりませんでした。

示現流(じげんりゅう)とは、薩摩藩を中心に伝わった古流剣術で、流祖は東郷重位という人だそうです。

ウィキペディアによると、薩摩藩内では江戸後期に島津斉興より御流儀と称され、分家の佐土原藩を除き、藩外の者に伝授することを厳しく禁じられていた御留流であるそうです。
流祖の東郷重位は、元々はタイ捨流を学んでいたが、京都で善吉和尚より天真正自顕流を相伝し、両流派の利点を創意工夫した上で新流派を立てた。「示現流」という流派名は南浦文之による命名である。技術・系譜的には天真正自顕流の流れにあり、型ではタイ捨流を仮想敵としている。また、太刀流の伝承では、重位が近江浪人・田中雲右衛門より田中家伝来の早太刀の技を学んで技に加えたとされる。
重位は御前試合でタイ捨流の師範を破り島津家久の師範役となった。

何やらちょっと難しい内容ですが、流祖の東郷重位が生まれたのは1561年で、実際に薩摩藩の御流儀となったのが薩摩藩10代藩主の島津 斉興(しまづ なりおき:1791-1859)の時で江戸時代後期ですね。
この示現流ですが、何と当家のご先祖様がこの剣術を習っていたそうで、かなりの腕前だったらしいのです。ものすごく強かったという話で、本家には平安統というご先祖様が戦っているような絵(いや、練習中の様子かな?)が残されています。

女子にはちょっと理解が難しい示現流ですが、どんな感じだったのかもう少し詳しく調べてみました。

示現流が最も重視し教え込まれるのは『刀は抜くべからず(武に優れた人物であれば、争わずに済ませられるという教え)』なんだそうです。一般的によく知られている特徴は、『一の太刀を疑わず、二の太刀は負け』という考えだそうで、これは素早く飛び込み、全身全霊をかけた一撃で、敵を倒すということですね。何だかそんなシーン、漫画とかで見た気がしますね。かっこいい流離のサムライみたいな。
『絶対に初太刀で仕留める!』という覚悟を持った男が、ものすごい速度で飛び込んでくるという、すざまじく怖い状況ですね。あの新選組も薩摩の武士のことは恐れていたといいます。薩摩の武士は凄く強かったんですね。

幕末期に戦った武士の遺体に関する文章が残っているらしく、薩摩と戦った者の遺体には、自分の刀の峰や、鍔を、頭に食い込ませて絶命したものがあったそうです。他にも、胴体を斜めに切断されているものなどもあったそうです。

恐るべし示現流。。。極めるためには相当な練習が必要だったみたいですが、そんな恐るべし示現流をマスターしていたご先祖様がいたとは、驚きです。
そういえば、当家には昭和30年代頃までは刀があったのですが、この刀はもしかしたら示現流と関係があったのかな?

鹿児島には今でも流祖の東郷重位から代々続く示現流の兵法所があるようで、そして観光スポットしての資料館もあるようです。


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