先祖調査での出会いは、様々な情報を引き寄せてくれます。先日、島のある家の当主の方とお話をする機会を頂いて、大変貴重な情報を頂くことができました。
こちらのご当主との橋渡しをしてくれた島のサポーターの方には、いつも大変感謝です。
沖永良部島にいる宗の本家には、様々な古文書が保管されているのですが、その中の1つに不思議な文書がありました。
歴史研究家の先生はこの文書に「覚書」というタイトルをつけてくださっていますが、この文書は今から110年ほど前の1913(大正2)年に、「島 伊名重」という人物が書いた文書なのですが、まずこの人物についての詳細が分からずでした。
1つだけ大正から昭和の初期頃にかけての教育者であったことまでは分かっていたのですが、現在の島にはその子孫の方もいらっしゃるのかどうかも分からない状況だったのです。
もちろんこの島家がどういった家であったのかも分かっていなかったのです。
それが今回は謎の島家についての貴重な情報を得ることができたのです。
この島家は、現在の知名町にある屋者という地区に屋敷があったようです。
島家のもともとの名字は島袋といい、島では「シマクル」というのだそうです。
島伊名重は、このシマクルの9代目の当主でした。
1代目:眞加戸
2代目:名前不詳(眞加戸の実の弟の子を養子に迎える)
3代目:伊名里(大城横目)
4代目:島袋(久志検横目)
5代目:伊名行(間切横目)妻は宗家の娘
6代目:島袋(田地横目)妻は宗家の娘
7代目:伊名里(掟役)
8代目:伊名里(座見廻)
9代目:伊名重
11代目までの当主は判明しており当時は島に住んでいたようですが、現在は分かりません。
5代目と6代目の当主の妻は、当家のご先祖にあたる宗家の娘です。
伊名重の祖母にあたるのが6代目の妻で、その女性は1850年に「世之主由緒書」を書いた平安統惟雄(宗の本家7代当主)の姉にあたる人だということは、伊名重の「覚書」に書いてありましたので間違いなさそうです。
伊名重は平安統惟雄のことを大変に慕っており、尊敬していたようです。
「覚書」の中にそのことが書かれておりました。
こうして2代続けて宗家から嫁にいっており、シマクル家と宗家は近しい関係だったようです。
そしてシマクル家の1代目である眞加戸は女性です。彼女は島の女性ではなく、琉球の女性だったそうです。その詳細は次回に書きたいと思います。