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DVD第五巻レヴュー、その締めくくりにはやはりこの話をしなくちゃいけません。というか、どうせ神無月のハナシしかしてないし。
ちなみに、思いっきりネタバレですから未見の方はご用心です。(先にいっときなさいよ!)
第九話はかおんとひみこの二人についてわずかな希望の光りがみえ、そしてそれがまたもろくも影におおわれてしまった衝撃回です。
第四話以降ミカに洗脳されてしまったかおんは、第六話にてひみこへの想いが棄てられきられないことを悟られ、さらに調律をくわえられていました。
このとき、ひみこがなぜか縛れていたのですが、生身の人間と絶対天使を融合させるもくろみだったのでしょうか?
間の悪いことにその儀式の最中を狙われて、カズヤの襲撃をうけたミカは落命してしまいます。この結末だけみれば、ミカがふたりの仲を邪魔立てしたことがかえって自分の命取りになってしまったといえます。ミカについては機会があればまた別項目でとりあげたい人物ですが、なんだか可哀想な気がしますよね。知性、美貌、権力どれをとってもひけをとらないものを備えているのに、いちばん欲しいものがはいらない。それがために冥府の魔道におちる。なんだか姫宮千歌音をみているようですが。原作者によれば、ミカは最愛のひとと結ばれないで絶望した来栖川姫子の暗い未来形(?)でもあるらしいです。
ミカはけっきょく死の淵にあって、ひみこにかおん救出の望みを託します。いちばん頼りたくない相手に。自分のプライドをかけてもお願いごとなんてしたくない相手に。彼女の悔しさってどれほどのものだったでしょうね。自分の敗北をみとめて死ななきゃいけない。築きあげた御殿も焼かれてしまい、過去に悪魔のように呪った兄からはトラウマをえぐられる。ほんとうに散々ですね。かおんとひみこにした仕打ちからすれば、とうぜんの報いといえるのでしょうけれど…なんだかそれも切ないですね。あれほどまで立ちはだかった障壁なのに、あっさりとりのぞかれてしまうのも。この事実に対し、女性視聴者からはけっこう反発があったのではないかと思われます。(理不尽におもったのは、私だけか?)
さて、肝心のかおんとひみこですが。
儀式の最中、カズヤに襲われたかおんを救おうとしてひみこが渦中へ。かおんは無意識のうちにシールドをつくり、あたかも神無月最終話のようなムラクモ金屏風空間(笑)が出現します。しかも最後はお花畑つき(笑)スタッフの皆さん、いったいどれだけ神無月パロディなんでしょうか。
このふたりだけの世界のなかで交わした密談は、重いものでした。かおんはひみこを遠ざけ、自死をえらぼうとします。巫女の運命をしらずに千歌音を刺してしまった姫子が刃を首にあてた状況と似ています。このときの、かおんの苦しみから解放されたような顔がなんだかとてもおそろしく哀しみを誘うような笑み方で忘れられません。それは、姫宮千歌音が月の社の階段をあゆむ際にムラクモにみせた、あの悟りの表情に似ています。逆にひみこはその嘘笑みのなかに、彼女の決意を感じとってしまい、必死によびもどそうとする。
このときの二人のやりとりは、聞きしにまさる恥ずかしい台詞のオンパレード、いやもとい、植竹節の本領発揮なのです。以下にかってに引用。
「ひみこは私にたくさんくれたわ。まばゆい笑顔、かさねあう肌のぬくもり、たいせつな人を愛おしむ気持ち。ひみこと過ごす一瞬いっしゅんがどんな永遠よりもすばらしいものだと。なのに私はただ奪うだけ…呪われたキスで貴女をむさぼるだけ。貴女を苦しめてくるしめて、それでも離れられない…だから、全部貴女に返すわ…」
「だいじょうぶだよ、かおんちゃん。取られてたって、とられたって、たとえ命がきえちゃっても絶対になくならないもの、わたし持ってるよ…だから、平気だよ」
このシーンだけが観たくて、DVDをひっぱりだしてきたようなもの。
百合作品というのはあまたあるでしょうが、この二人のやりとりには、単なる女性どうしの恋愛関係をこえた、よりひろいお付き合いをする上での心構えのようなものが感じられないでしょうか。
ひとは多かれ少なかれ、誰かに負担を強いられ、また迷惑をかけて生きています。ひみこのかおんへ捧げる愛情は、いっけんせつなが京四郎に向ける異常なまでの従属心に似ていますが、じっさいは異なります。せつなは京四郎があやまった道をたどろうとしても、絶対にとめたりはせず従うだけ。京四郎に命じられたら、平気で生身の人間のマナすらも奪う。
恋愛といいますか、ひと一般のおつきあいにおいても、望みたいのは対等な関係です。いっけん姫宮千歌音の引き立て役におもわれた来栖川姫子が、ラストでは救う立場が逆転してしまうというのも、その魅力の一つ。ふだん、なかなか相手をたてるような気づかいはできないものです。相手をないがしろにしない付き合い方が。どこか強引に他人をコントロールする。あるいは、つねに相手の重荷になっていることに萎縮して、肩身がせまく暮らしている。どちらなりとも、それは不幸です。他者を蹂躙するような関係は、もはや愛情でもなんでもありません。
「神無月」の百合が、その先例である「マリみて」と違うところは、こうした従属関係の愛情ではないのだということ。どちらが上でも下でもない。それはかおんを支配しようとするミカの愛し方と対比的にあらわれているのです。
「神無月」でも千歌音にコーディネイトしてもらっていた姫子は、別れの花園では自分で千歌音のためにセレクトするのだと約束します。お互いの喜びのために自立して生きる。そういう強い意思が感じられます。その意思さえあれば、たがいに持たれあって自滅しあうこともないのでしょう。ほんとうにパートナーとしては理想形のふたり。主人公のヒロイズムに隠れてみえづらくなっていますが、この作品でいちばん訴えたかったことを、最大限に担っているのはやはり、この二人なのではないでしょうか。あたかも、この二人のためにとっておいた台詞です。カズヤや白鳥くうの詩的言説や、京四郎の強がりな決意表明がどこかうすら寒く聞こえる(ごめんなさい、私にはギャグにしか聞こえないんです、あれは…)いっぽうで、とても印象に残ることばです。
カズヤのローズウィップ(緒方さん経由ですかね?髪の毛も紅いし(笑))に阻まれて黄金空間は消滅。失神したかおんはワルテイシアの腕のなか。無意識のうちに流した涙をうけたのは、気を失ったひみこの頬でした。最強の絶対天使・月の螺旋のかおんが見せたはじめての涙、それをうけとめるのは、やはり彼女なのです。なぜなら、前世の別れの園で約束したのだから。
「泣いたっていいよ。わたしが千歌音ちゃんのハンカチになるから」と。
ただし、放映時この部分のみ観た際は、ふたりの声に妙なエコーがはいっているので、あまり感慨は涌きませんでした。異空間という演出なのでしょうが、せっかくのひみこの力強い声も、ふるえてしまう。なんだか水あぶくを含んでしゃべっているようで。どうして、このような効果をしてしまったのか気になります。「京四郎」は音楽はよかったのですが、ところどころ声の演出ではてな?と言いたくなる部分がありました。もちろん、いい意味でもなんですけれどね。
もし自分が苦境にあって、それが誰かのせいで、その本人もそのことで苦しんでいるとしたら。私は惜しみなく力をあたえることができるでしょうか。ひみこの態度は、アウシュビッツ送りに怯えて日影で暮らしながら、それでも希望を日記にかきつづったアンネ・フランクの言葉を思い起こします。与えなさい、惜しみなく、与えなさいと。
自分は奪われてばかりいる。犠牲になってばかりいる。そんな不満がつのったがために、このひみこの言葉を聞いてみたくなった今日この頃でした。かおんが言うように、この作品はほんとにいろんなものをくれますね。作りて側の人生経験への透徹したまなざしを感じずにはいられません。だからこそ、この作品があまり多くに観られないのが惜しいかなと。
【思わず弁をふるって長くなってしまったので、その5にも続く(え゛~っ)】