陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

デジタルで明窓浄机しませんか

2018-06-16 | 自然・暮らし・天候・行事

我が家では、数年前に第一次処理した断捨離が絶賛進行中です。
敷地内にある古びた納屋のひとつを取り壊す予定のために、右往左往しています。居住家屋に収納したいけれど、埃まみれで虫が湧いてきそうなものばかり。平成も終わろうというこの年に、めっさ明治や大正の時代につき戻されるようなものに出会ってしまう私は、嬉しい悲鳴をあげるべきなのでしょうか。現実は、古い日本映画に出てくるようなレトロに浸れるわけでなし。私が手にするのは、オンボロになった生活の歴史の名残りで、手元に残るのはのどの痛みとじんましんだったりします。

出てきたら嬉しいけれど、捨てるに困るものの筆頭格は、手紙、写真、賞状、メダル。
要するに記念品、記録品の類。贈与者はすっかり忘れているが、受贈者はしっかり覚えている、お子様、お孫様の落書きに等しい手紙。母子手帳にかかれた赤ん坊の頃のはしかの具合や、お年玉がこっそり貯め込まれた古い通帳、お見合いの後の手紙や結納品やり取りの書状、結婚式の写真までまで、一族郎党の歩みがきっちりと集められていたりする。とどめは葬式に用いられた木机や遺影であって、こんな陰気な表情ではなかったのに、よりによってなぜこの一枚なのかと、死んだ後の顔にまでケチをつけてしまったりするもの。

遺された遺族がしっかりしていれば、故人の恥部は残されない。
たいがい奥さんが長生きすると、旦那さんの奇麗に仕立て上物スーツや時計が保存状態よく見つかっていく。小津安二郎の映画でよく見かけますが、帰ったばかりの家の主人が着替え中に脱いだ着物を、側で奥さんや娘がテキパキまとめて吊るしていく場面があります。いまだと考えられないですよね、パパの脱いだものと一緒に洗濯しないで、の時代だから(酷)。小気味よく断捨離ができるようになった現代は、家庭のなかでは整理上手とされる女性がわの意見が通りやすくなったからなのかもしれませんね。

読売新聞朝刊2018年6月10日付紙面にて「思い出の品 デジタル化」という記事を発見。
お子さんの独立部屋を確保するため、物置と化した一室を片付けしたいお母さん。整理収納アドバイザーの助言によって実行したのは、思い出の電子データ化。お子様の通知表や書初め、賞状などをすべてスキャンしてPCにとりこみ、年代順に整理すれば見返すのも容易。ぬいぐるみや夏休みの工作物などは、お子様といっしょに写真に収めておけばいいという。ただし、へその緒、卒業証書、七五三の写真など、人生の節目にあたるものは実物保存しておくこと。卒業証書などは、入学入社、あるいは資格試験の受験時などに提出を求められるので捨ててはいけません。

データの保存先は大容量の外付けHDD(ハードディスク)や、SDカード。バックアップとしてインターネット上のクラウドストレージ利用もあり。電子データ化することの利点は、もちろん、経年劣化や物理的損壊を免れることにあります。

ただ、個人的には電子データ化に頼るのには不安があります。
学生時代に修士論文を英語で執筆中にパソコンが壊れて、八割がた仕上がっていたデータが失われた私は、電子化を信用していません。ネット上に残してもデータが流出する恐れがありますし、そうなると個人の意思では永遠に消せないものとして漂流することになります。記録メディアの再生媒体が変われば、データを呼び出そうにも呼び出せなくなってしまいます。FDやMO,さらにはCD-ROMに入れていた論文データや画像資料を、私はもう拝むことができません。あちこちの保存先に分散すればしたで、管理がややこしくなりがちに。私が原則的に、電子書籍を買わずに本に親しむのもこのためです。重いけれど、かさばるけれど、気軽にぱっと広げて読めるから。電子データ化すると保管したことに安心してしまって、けっきょく読み返さないんですよね。いつまでも失われないと油断してしまうから。

断捨離はしたい。けれど、箱一つ分の想い出だけ残しておくなんて可能なのだろうか。
この新聞記事のなかで、いちばん胸にひびいたアドバイスは、「必要なものは家族総出で協議して決める」でした。片づけをすると、家族の知りたくもなかった事実、誰にも知られず奥深くに仕舞い込んでおきたかったことに向き合うこともあります。こっそりと処分するもよし、話し合って棄てるか残すか決めるもよし。

けっきょくのところ、想い出は残して可愛がるだけのもにあらず、これから新しくつくっていくものでもあるわけです。古くて置いておけば価値が輝いて増すものもあるでしょうが、それでも、これからの家族の生活に必要なスペースが欲しいのならば、どちらを大事にするのか自明のことと言えます。

都会ぐらしで居住スペースの限られた新興家族のお片付けには、その昔なら、もうひとつの逃げ道がありました。それは、田舎の実家に荷物を送りつけて保管してもらうことです。私が片付けている家がまさにそうで、あきらかに顔も知らないような、何親等なのかわからない遠縁の荷物まで置かれてあったりする。へたに収納がおおきかったりすると、物置小屋かわりにされてしまったのでしょう。田舎の空き家が処分されていく現在では、もうインターネット上にしか想い出を保管するしか道がないのでしょうね…。

★片付け上手は生き上手(目次)★
不器用だから、片付けられない。そんな自分でも、ちょっとずつ。2012年ごろから手掛けている実家、我が家の断捨離の記録です。めざせ、シンプル・イズ・ベストなミニマルライフ。


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