井上雄彦の人気漫画『スラムダンク』はバスケットブームに火をつけた名作ですが、これは素人はだしの主人公が全国レベルのチームとなるまでの成長を描くととももに、ひじょうに滋味深い師弟のエピソードもあります。敵方でかならず敗戦するチームには、監督に選手を見る目がないために部員との関係がぎくしゃくしていたり、監督にあまり貫禄がなくしばしば嘲笑の対象となっています。いっぽう、常勝する有力校の監督にはなにかしら威厳があります。そのなかでも、いちばん、印象的な話だったのが、主役の湘北高校のバスケ部監督・安西先生の過去のことですね。スパルタ教育を施して鍛えた選手をうしなった(体罰ではない)安西は、その後、穏やかな性格となりますが、いざというときには威厳を持ってチームを制し、ゲームを立て直すことのできる、すぐれた指導者なのです。
大阪市の桜宮高校バスケ部顧問による体罰事件(「体罰は教育にあらず」)をめぐって、入試中止騒動に発展するなど動揺がひろがっている教育界ですが、痛ましいことに各地で体罰の発覚が続出。高校駅伝の名門校では、監督が生徒に鼓膜を破る怪我を負わせています。この被害者生徒たちは自主退学や転校を余儀なくされたそうです。生徒に人気があって、優秀な戦績を残した教師だからとお咎めなしだったんでしょうね。
教育現場での教育者の暴力・暴言はどこにでもあるもので、これまで表面化してこなかったのでしょう。たとえば、大学でのアカデミックハラスメント。教官が学生の研究テーマを盗用したり、自分の研究に近いテーマを強いたり、従わなければ学位を与えない、就職活動の妨害をする、というものです。こうした立場を悪用した嫌がらせ、スクールハラスメントと言うべきものは、資格スクールや職業専門学校、予備校や学習塾、さらには自動車教習所のような、どのような教育機関でも起こりうるものですね。私立の学校よりも、公権力を楯にした場で起こりやすいと言えます。義務教育以外の教育機関の学費は決して安くはありません。最近は入学者の減少傾向で、業界自体がすぼみ、サービス精神旺盛になっているところもありますが、いまだに殿様商売気質が抜けないところもありますよね。他山の石とせずに、こういった教育を売りにする業界にも調査をしてしかるべきではないでしょうか。
専門職になるにはそれなりの能力とプライドがあるのは分かりますし、なかなか教えてもうまくならない生徒に苛立つ気持ちもわかりますが、「先生」業は自分の出来の良さを見せつけるのが仕事ではありません。教わるほうの尊厳を傷つけ、人生を台無しにするような教育関係者や、それを隠蔽する組織は徹底的に責任を追及されるべきではないのでしょうか。自分が暴言や暴力を受けてきたから、それをしても許されるというような、被害を加害に転換するような思考の人は、ぜったいに指導者にはならないでほしいものです。こういうこと、いまだに言う人いるんですよね。自分が財布を盗まれたから、他人の財布を盗む権利がある、と豪語しているようなものなのですが。
体罰を起こした教師はもちろん処罰されるべきなのですが、旧態依然として、日本で体罰が容認されてきた空気は考えておく必要があります。昔のドラマには、ジャージ姿で竹刀を持った体育教師が校門の前で立っていたりするシーンがよくありましたが、保護者も他の教師も、学校全体が、腕っぷしのいい体育会系の教師を素行の悪い生徒対策の用心棒として重宝していた向きがあります。中学生や高校生になると体格の良くなってくる子どもたちの集団に相対するのは、ひじょうに勇気がいります。ほんとうは、どの教師も、どの親も、周りの大人も、彼らと向き合って叱らねばならないのに、その辛い役回りを体罰教師に、学校に丸投げして押しつけてしまったといえます。自分たちが叱れない、躾けられない部分を代行してもらっているからこそ、犠牲者が出ても体罰加害者を庇う空気が生まれてしまうのです。叱りたくないという事なかれ主義が、逆説的には衝撃の大きい暴力に走らせてしまうという不条理があります。温情のある説得よりも、一発のビンタやキックを選ばせてしまう。また、その体育会系指導者がかつてはオリンピック選手や国体での戦績を残した優秀な人物だった場合、応援している地元としてはやはり擁護してしまうものなのでしょう。
この記事を書いているあいだにも、オリンピック代表をふくむ女子柔道選手たちが園田隆二監督からたびかさなる暴行や暴言を受けたという報道がなされ、辞任会見にまで発展しています。女子選手たちが訴えたのに全日本柔道連盟は無視し、ついにはJOCに訴えて、それでも事態の解明に渋る動きがあったとか。ロンドン五輪でのメダル数激減のプレッシャーがあったのか、そもそも、この監督が横暴な指導をしたために士気が削がれてしまったのか、自分が五輪代表になれなかった無念が歪んだ暴力になってしまったのか。ともあれ、スポーツの世界にせよ、どのような教育界にせよ、教わる側が絶対服従を強いられ、従わねば将来を台無しにされるという強迫観念のもとに、多大なストレスをかける悪習慣は改善されねばならないでしょう。体罰のボーダーラインをめぐってのマニュアルを作製した教育委員会もあるようですが、全人的な話し合いが必要不可欠です。
そして、いじめにせよ、体罰にせよ、ほかならぬ加害者側が保身のために、「被害者のプライバシーを考慮して、事を荒立てないほうがいい」と口裏をあわせようとする隠蔽工作だけは、なんとしても許しがたいものです。被害者にとって、このような押しつけがましい言葉は、神経を逆なでされるだけです。「あなたのため」と恩着せがましく言いながら、自分の加害責任を相手になすりつけて逃げようとする、こんな動きについても目を光らせておくべきでしょうね。
大阪市の桜宮高校バスケ部顧問による体罰事件(「体罰は教育にあらず」)をめぐって、入試中止騒動に発展するなど動揺がひろがっている教育界ですが、痛ましいことに各地で体罰の発覚が続出。高校駅伝の名門校では、監督が生徒に鼓膜を破る怪我を負わせています。この被害者生徒たちは自主退学や転校を余儀なくされたそうです。生徒に人気があって、優秀な戦績を残した教師だからとお咎めなしだったんでしょうね。
教育現場での教育者の暴力・暴言はどこにでもあるもので、これまで表面化してこなかったのでしょう。たとえば、大学でのアカデミックハラスメント。教官が学生の研究テーマを盗用したり、自分の研究に近いテーマを強いたり、従わなければ学位を与えない、就職活動の妨害をする、というものです。こうした立場を悪用した嫌がらせ、スクールハラスメントと言うべきものは、資格スクールや職業専門学校、予備校や学習塾、さらには自動車教習所のような、どのような教育機関でも起こりうるものですね。私立の学校よりも、公権力を楯にした場で起こりやすいと言えます。義務教育以外の教育機関の学費は決して安くはありません。最近は入学者の減少傾向で、業界自体がすぼみ、サービス精神旺盛になっているところもありますが、いまだに殿様商売気質が抜けないところもありますよね。他山の石とせずに、こういった教育を売りにする業界にも調査をしてしかるべきではないでしょうか。
専門職になるにはそれなりの能力とプライドがあるのは分かりますし、なかなか教えてもうまくならない生徒に苛立つ気持ちもわかりますが、「先生」業は自分の出来の良さを見せつけるのが仕事ではありません。教わるほうの尊厳を傷つけ、人生を台無しにするような教育関係者や、それを隠蔽する組織は徹底的に責任を追及されるべきではないのでしょうか。自分が暴言や暴力を受けてきたから、それをしても許されるというような、被害を加害に転換するような思考の人は、ぜったいに指導者にはならないでほしいものです。こういうこと、いまだに言う人いるんですよね。自分が財布を盗まれたから、他人の財布を盗む権利がある、と豪語しているようなものなのですが。
体罰を起こした教師はもちろん処罰されるべきなのですが、旧態依然として、日本で体罰が容認されてきた空気は考えておく必要があります。昔のドラマには、ジャージ姿で竹刀を持った体育教師が校門の前で立っていたりするシーンがよくありましたが、保護者も他の教師も、学校全体が、腕っぷしのいい体育会系の教師を素行の悪い生徒対策の用心棒として重宝していた向きがあります。中学生や高校生になると体格の良くなってくる子どもたちの集団に相対するのは、ひじょうに勇気がいります。ほんとうは、どの教師も、どの親も、周りの大人も、彼らと向き合って叱らねばならないのに、その辛い役回りを体罰教師に、学校に丸投げして押しつけてしまったといえます。自分たちが叱れない、躾けられない部分を代行してもらっているからこそ、犠牲者が出ても体罰加害者を庇う空気が生まれてしまうのです。叱りたくないという事なかれ主義が、逆説的には衝撃の大きい暴力に走らせてしまうという不条理があります。温情のある説得よりも、一発のビンタやキックを選ばせてしまう。また、その体育会系指導者がかつてはオリンピック選手や国体での戦績を残した優秀な人物だった場合、応援している地元としてはやはり擁護してしまうものなのでしょう。
この記事を書いているあいだにも、オリンピック代表をふくむ女子柔道選手たちが園田隆二監督からたびかさなる暴行や暴言を受けたという報道がなされ、辞任会見にまで発展しています。女子選手たちが訴えたのに全日本柔道連盟は無視し、ついにはJOCに訴えて、それでも事態の解明に渋る動きがあったとか。ロンドン五輪でのメダル数激減のプレッシャーがあったのか、そもそも、この監督が横暴な指導をしたために士気が削がれてしまったのか、自分が五輪代表になれなかった無念が歪んだ暴力になってしまったのか。ともあれ、スポーツの世界にせよ、どのような教育界にせよ、教わる側が絶対服従を強いられ、従わねば将来を台無しにされるという強迫観念のもとに、多大なストレスをかける悪習慣は改善されねばならないでしょう。体罰のボーダーラインをめぐってのマニュアルを作製した教育委員会もあるようですが、全人的な話し合いが必要不可欠です。
そして、いじめにせよ、体罰にせよ、ほかならぬ加害者側が保身のために、「被害者のプライバシーを考慮して、事を荒立てないほうがいい」と口裏をあわせようとする隠蔽工作だけは、なんとしても許しがたいものです。被害者にとって、このような押しつけがましい言葉は、神経を逆なでされるだけです。「あなたのため」と恩着せがましく言いながら、自分の加害責任を相手になすりつけて逃げようとする、こんな動きについても目を光らせておくべきでしょうね。