陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

続・北京五輪のオープニングがすごい

2008-08-09 | フィギュアスケート・スポーツ
本日もお疲れ様です。
お盆休みの計画をするよりも、その前のやらなきゃいけないことを片づけるのでいっぱいいっぱいな管理人です。といいましても、休み前ですのでそんなにスケジュール詰めされていないのが嬉しいですが。逆にこのゆったり感がちょっと恐くもあります。予定が遅れているし、休み明けだいじょうぶかしら…。

…って、昨日と同じこと書いてる場合じゃないし!(ひとりツッコミ)

いえ、中身は昨日とおんなじなんですのよ。そう、昨日のうちに書き直すはずだったんですけれど、うっかり寝ちゃってね、あははっ。だって、次の日また会議だったんだもん。まあ、どうせ私が重要な発表したりするわけじゃないから、いいんですがね。


さて、昨日の五輪の開会式のお話です。
九時ごろからはじまって、私が観たのは九時半ごろ。
式典会場にとつじょ、巨大な巻物が登場しライトアップされながら、開かれていきます。そのうえにはモジモジ君(渡辺満里奈っていま、なにしてるんでしょうね←関係ないでしょ!)黒タイツの人間がからだをくねらせながら、文字を書いていきます。
漢字文化発祥の地、中国を印象づけたイヴェントです。まさにこの大陸には、文字とともに多くの文明が埋まっているのです。

巻物は消えて、こんどはさながらキーボードのように活字の文字が浮き上がり、波打つようにステージで踊ります。ひととおりの動きがおわると、数万人のひとが活字のブロックの下からひょっこり顔出しして手を振り、観客の笑いを誘っていました。
数万人の参加者の一糸みだれぬ動きは、みごたえありです。むかし、ナンパオという漢方薬(?)のCMで、ウェーブする人民の映像がありましたが、あれにひけをとらぬ未曾有のスケールです。

時代をこえて、テーマは現代。ステージの地下から巨大な球があらわれ、その表面をピアノ線に吊られたダンサーが、沿うように巡り歩いています。二〇〇三年の有人単独宇宙飛行成功を記してのパフォーマンス。その球は地球儀のかたちとなり、中国の文明が宇宙レヴェルにまで達したことを誇らしげに告げるものでした。
世界中の子どもたちの笑顔をえがいた傘がひらいてゆくのは、まさに米国の現代アーティスト、クリストのインスタレーションを見ているかのよう。
あの連携と躍動感と迫力とスケール!まさに圧巻でした。
あまたの人間を関与させ、美のプロジェクトを展開するという所業は、まさに芸術といってふさわしいものでしょう。


開会式のあと、選手団の入場です。各国選手団の入場順は、国名を漢字表記にした頭文字の画数がすくない順番なのだそうです。日本は二十三番目でした。露西亜あたりが最後っぽいですよね。日本の選手団の衣裳は、黒のジャケットに白のパンツで、かなり地味です。チベット騒動などの忌みごとを前提にしてのものなのでしょうか。

なお、この式典の演出をしたチャン・イーモウ監督は、一九五〇年生まれ。映画『HERO』でおなじみの大胆な色彩の演出と、度肝を抜くダイナミックなアクションで定評のある映像クリエイターです。彼は文化大革命にまきこまれて、二十代の大半を農場や紡績工場ではたらくなど不遇な生活をおくりつつ、スチール写真を撮り溜めていました。文化大革命終了後の七八年年に北京電影学院の入試を高得点でクリアするも、入学年齢を五歳上回る(このとき二七歳)ため入学拒否されました。そのとき、当時の文化庁長官に文化大革命のため十年を無駄にしたことを直訴し、入学を許されたエピソードは有名です。
卒業後はカメラマンすなわち撮影監督としてスタートしたが、映画監督に転向。初作でベルリン映画祭金熊賞を受賞するなど世界的監督への道を歩みはじめます。最近では、オペラやバレエ舞劇の演出やオリンピック誘致映画の製作など幅広い活動をしていらっしゃいます。
時代の不幸にあっても、夢をあきらめずに世界の大舞台で才能を開花させた努力に脱帽です。まさにこのステージは、彼のために用意されたといっても過言ではないでしょう。
それにしても、この大迫力のオリンピック・オープニング、まさにあの万里の長城などをうみだした国ならではの発想だと思われました。
閉会式も手がけられたそうですが、どんな演出をするかが楽しみですね。
(しかし、競技自体はみないイケズなひとです)

とうしょは、サザビーズで現役アーティスとしては史上最高の落札価格を記録した現代アーティスト蔡國強がヴィジュアルディレクターをつとめると伺っていました。しかし、私は海外在住で、思いつきをコンセプトでからめて複雑にした現代美術家よりは、自国で苦しみをあじわい市井のひとびとの共感をひろく呼ぶムービーをつくりあげる監督のほうが、この大舞台の指揮をとるのにふさわしいように思います。あの美しくダイナミックな万人の動きを統御するのはなみたいていのことではありません。いうなれば、オーケストラの指揮者と、一介のピアニストとの役割の違いなのです。
苦い政治の季節をすごした彼が、自国の文化を代表して指揮をとったのは、有意義なことです。彼はきっと、自分のように芸術やスポーツ文化のこころざしのある者が不遇な時代を送ることが二度とないように祈りをこめているのでしょう。

中国国家はこの美しいイベントを成功させるために、雨雲を減少させる人工消雨ロケットを千基以上打ち上げたらしい。まさに国をあげてのプロジェクト。世界中から前評判がわるいので、政府も躍起になっていたのでしょう。
しかし、このイベントに感動したからといって、平和をねがうひとの記憶のなかから大国の罪が消えることはありません。レニ・リーフェンシュタール(拙稿「乱れた聖火と民族の祭典」を参照)のように、後年のイーモウ監督が、国家フィルム制作に関与したことを悔いることにならなうよう、平和で豊かな国づくりに邁進してもらいたいものです。

テーマソングを歌うはイギリス出身のソプラノ歌手、サラ・ブライトマン。中国の人気ポップシンガーとともに、美しい喉を鳴らしてスポーツの祭典の幕開けをお祝いしてくれました。
なんて書いていたら、あの透き通るような歌声がまた聞きたくなりました。
お盆休みは眠っているCDでも聞き返しながら、すごすことにいたしましょう。


【追記】
後日、開会式の花火がCG作成であったことが露見し、物議をかもしています。
私は定番の花火よりも、あのマスゲームのスケールに感動したのであまり気にしてはいないですが。
「北京オリンピック開会式の花火による「巨人の足跡」は本当にCGだったのかどうかを検証してみた」(GigaZiNE 〇八年八月十二日)


【追記 その2】
リンク先の月光院様のブログに、開会式の様子を映したうつくしい映像がありますので、見のがした方は参照してください。
コメント欄の指摘も秀逸で必見です。
月光院璋子の日記「国家の威信をかけた北京オリンピック開会式」(〇八年八月十三日)


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1 Comments

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Unknown (管理人よりお知らせ)
2008-08-16 08:55:42
掲載後に追記事項がありましたので、
お知らせいたします。
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