花が売れなくなったら、この世の中は終わりだと思う。
花のいのちは短い。そしてそれは、食べ物と違ってなくてもいいものだ。
花を愛でる人間がいなければ、この需要はうまれない。
できあいのフードサービスと違って、花は育て方がむずかしい。買ってきたままの造り花ですら、やはり活けるのには神経をつかう。だから私などは、花なんぞは買う気にはなれなかった。そもそも花を味わうのではなく、概念としてみているふしがあった。
いま、花の咲かない地域の黒い原料が、ひどく値上がりしている。黒い油の値上がりは、物の動きをゆるくし、人の足を鈍らせてしまう。
花を愛でる文化をもたない国の原理が、世界の経済を牛耳ることはおそろしいことだ。乾いたビジネスには、ロマンの香りだって必要なのに。
二月ごろ、低迷するフラワー業界に斬新な手法をもちこんで、売れ行きを倍増させた経営者の話が、TVで流れていた。
商品の花が冷蔵ケースにおさめられるというのが生花売場の常識。その常識をくつがえし、店頭にまったくショーケースを置かずに、花をディスプレイしたのだ。しかも若い女性が立ち寄って気軽に買えるように、愛らしいラッピングをした小さなポット形の花セットにして安く売りさばいた。この商法では、毎日の売れ残りがほとんどなく、また顧客も新鮮な花を買い求めることができるのだ。
花をはじめ生鮮食品業界では、賞味期限が厳密にあって、不良在庫が残ることはお店の生死にかかわるので、日々研究がなされている。
いっぽう、シーズンを超えても保存がきく商品の業界は、おそらく前者ほどの危機感をもってはいないだろう。
異なる業界でも、このフラワーー業界の旗手の手腕にみならうべきところは大きいだろう。
かつて、無駄なものは何ひとつとして棄ててきた。
清貧思想がもてはやされ、飾りっ気なしの生活を望んでいた私だが、花を育てるような余裕がなければ
母がなぜあんなにも花を丹精こめて育てているのが、最近になってわかった気がした。いのちの匂いがするから、寂しくなるとあの家に帰りたくなるのだと。
今年の帰省の土産は、墓前に活ける花にしよう。
朝には咲いて夕方には消えたはかない人生のとむらいのために。真夏の太陽にまけないような、強い花を。
(〇八年六月某日)