陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

二次創作者、絵描きが駄目なら字書きになればいいじゃない!

2020-11-16 | 二次創作論・オタクの位相

SNSを覗いていると、絵描きの二次創作者さんでご自身の画力のなさを嘆いているつぶやきを見かけます。
上手い人の作品と引きくらべて羨望の言葉を撒いたり。たしかにプロレベルではないかもしれませんが、その人自身の画風にもそれなりの個性があるにもかかわらず。これはSNS上では千どころか万単位のいいね!をもらえる状況を見てしまっているので、落ち込みやすいのでしょう。実際、二次創作の評価は原作ジャンルの人気や、ご本人の社交力なども加味されるので、純粋に技術を評価されるわけではないかもしれません。

以前に絵描きも字書きもこなせる両刀使い(誤解をうけそうな表現(汗))について語りました。
じつは、現実にもこういう方は多いです。とくに少女漫画出身者。少し前に亡くなったあさぎり夕先生は、もともと『なかよし』誌に連載をもつ売れっ子漫画家でした。晩年はBLライトノベル作家に転向しています。

『マリア様がみてる』シリーズで知られる今野緒雪先生は、子どもの頃、漫画家を目指していたそうで。社会人になってから、構想ネタを文字にしたらすらすら書けてしまったので、応募したそうです。『マリア様がみてる』は平成版のエス小説としても、川端康成や谷崎潤一郎などお耽美な文芸好きの大人たちを魅了しました。もしこれが、ふつうの少女漫画だったならば、あそこまで大ブームを引き起こしたでしょうか。

絵描きよりも字書きが下に見られやすい、というのは嘘ではありません。
同じワンシーンを描くのでも、労力が異なります。私は若い頃、二次イラストをアニメ雑誌にせっせと投稿していましたが、自分の画力の限界値に気づいていました。きょうだいに絵が上手く受賞歴がある天才がいたからです。

たとえば、例を出してみましょう。

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永遠に見つからなかったら、姫子はどうするのだろう。
からだを探りながら、ふしぎと着崩れない姫子を凝視するのが悪い気がして、千歌音は木漏れ日がうつろう梢に視線を上げた。しばらくして、千歌音は手首をくいっと回された。

ひろげたてのひらのうえに、桜色が散らばった。
花びらのような淡い色合いのそれは、可憐な二枚貝だった。人の爪のようにつるりと光っている。指の付け根にくいこんで、握ろうとすれば、かりりと軽やかな音がした。桜といっても、色の層があって蜜柑にも近ければ、紅にも、葡萄いろにも見えた。

「千歌音を苦しめる悪い夢は、私が買いとってあげる。お代はこちらでいかが?」
「…まさか、これをずっと持っていたの?」

千歌音は遠くの星に不思議な影を見出したかのように、まるで信じられないといった態で、桜貝に目を落とし、そして姫子を見た。まばたきひとつせずに。

(神無月の巫女二次創作小説「夜の眇(すがめ)」(二十二) より)

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これは、現在更新中の二次創作小説の一場面です。
長文ですが、5秒ぐらいで読める文章です。正直、中学生どころか、小学生に書ける作文レベルです。誰でもできそうな気がしませんか? 字書きのこの敷居の低さ。字書きは言葉のセンスが優れていなければ、等と思うけれど、きらびやかな言葉をちりばめすぎるとうるさくて読めなくもなります(自己反省)。


さて、この現場を漫画にするとしましょう。
コマ割りは? 台詞は? どんな表情に? ペンタッチの濃淡は? 背景はどうレタッチする? 着物はどういうふうに描くか? 

これだけの至極単純な場面なのに、ひとコマの絵に落とし込むだけでも、ずいぶん悩みます。カップル絵でふたりが密接する構図を描きなれていても。貝殻などは構造が複雑なので、図鑑などできちんと観察しないと、あの独特のくぼみや薄さ、セラミックのような透明感を出せません。こだわりがある人は、海辺に足を運び、砂のついた貝殻の感触を取材してこようとまで思ってしまうでしょう。

この二次小説の原作は百合モノですが、巨大ロボットもでてきます。そのため、二次の同人誌漫画で、原作に匹敵するような美少女の愛情も描けて、なおかつロボットも難なく描けるという、高度な作品は(私の知る限り)存在してはいません。もしそこまで描けるレベルのひとは、二次なんかやらずに、商業誌でデビューできています。

プロの漫画家さんは、何気ないシーンであっても、いかに効果的に情緒に訴え、意表を衝くインパクトを考え、それでいて商業上のお作法に縛られつつ取捨選択しながら描いているはずです。同人屋さんも同じでしょうが、やはり字書きと絵描きでは労力が違います。

絵描きで売れやすい同人ものは、たいがいエロ要素があるものが多いですよね。
でも、カップルの絡み絵ばかりは上手だけれども、なんだか構造の複雑な建物や日用品を描かせたら、定規で引いたような特色のない線描で描く漫画家がいたりします。私のような、絵も描いたことのある字書きはこういう部分にうるさいです。

それは、絵描きをいま現在進行形で修業中の方にもいえるでしょう。
上手くなりたいから、自分の至らない部分にばかり目がいってしまい、落ち込んでしまう。ぶっちゃけ、商業デビューしてきた名作の漫画家さんの初期作なんて、デッサンが狂ってばかりです。よほど、いまのピクシブ等で人気の若い子のほうが上手い。でも、そんな下手くそな新人さんでも、漫画の核が絵のクオリティのみにないことを知っているからこそ、生き延びて、名人級になったのでしょう。

私も経験があるからわかりますが。
絵を描いている時に苦しいのは、自分の頭の中にある、理想の美しさが自分の手では表現できないと悟ったときです。画帳に表れてくるものに何度失望したかしれません。描いているときは熱中していたが、イーゼルから離れて眺めた時の狂いがあちこちに見つかったときの、絵具をぶつけたくなるあの衝動。今の時代のPCで文章をさらさら書ける楽さに比べたら、精神の煉獄です。


絵がうまくいかないからと、筆を折るのはもったいない。
あなたには別の才能が眠っているのかもしれません。
表現力や感受性に自信があれば、むしろ字書きとしての適性があるかもしれませんよね。むしろ、漫画のネームづくりでセリフを簡潔にまとめたり、見せ場づくりを意識した画面構成ができる絵描き出身者が描いた小説のほうが、文章しか書かないひとよりも、抜群におもしろいのではないかと、私は思うわけです。

もちろん、絵描きを極めて一流になるんだという心意気をくじくつもりははなからありません。しかし、絵の道を進むというのは、90歳過ぎても自分はまだひよっこと豪語した葛飾北斎のようなタフさでないといけないような気がします。若くしてデビューしたのに本が売れないで絶望する若い漫画家さんには、もっと気楽な気持ちで創作をしてほしいのです。


【二次創作者、この厄介なディレッタント(まとめ)】
趣味で二次創作をしている人間が書いた、よしなしごとの目次頁です。
二次創作には旨みもあれば、毒もあるのですね…。




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