黒髪の巫女こと、前世の千歌音はやおら無気味な赤い仮面で顔を覆う。
照れ隠しにしては、なんだか場違いなマスクである。というか口を隠してもいないので、衛生対策にもならない。
「うっ、うっ、ぐす。私が病篤いからって、こんな仕打ちを…。あなたは明るく元気だから、お日様みたいにあちこち照らしてやりたい放題。私は家に閉じこもって、いつも日陰者なのに…。ああ、ひどい、ごほ、ごほっ、ぐふ」
血をどばあと吐いて、シーツを赤い海にしてしまったまま、千歌音なる巫女は倒れ伏した。
やっとこさ目の色を変えた生意気姫子が慌てて介抱している。どうでもいいが、なぜ看護するのに脱がす必要があるのか。しかも下から。
解かれた帯が腰に絡んだままで、ふたりの肌がひとつになる。
小瓶から手のひらに落とした塩水でくまなく清めたあとで、姫子がやさしく、ときには強く愛撫する。はだけた胸に沈む太陽と、あらわな背中に昇る月とが、交互に揺れている。受け入れるたびに千歌音が切なく声をこぼす。花びら撒いたごとき接吻と、甘い熱で巫女のからだが火照る。
目のやり場に困るというものだろう。自分と瓜二つなからだに、あんな、そんな恥ずかしげもなく…あれやこれや、いろいろ尽くしの愛を、そこまでやらなくても。大正時代の亡霊はやりすぎもいいところだ。いやいや、現世の姫宮千歌音さんよ、お前も自分の前科を忘れたのか。とりあえず、前世の私、自分の身がわりに犠牲になってくれてありがとう。あまりに、恥ずかしい。でも、ちょっぴり、羨ましい。だって、女の子なんだもん。
尖った胸の先を触れただけで、もう腰くだけになって、姫子にすがりつく千歌音も。
唇を舌で割りながら、深く、濃く、溺れては、千歌音をひろげていく姫子も。
剝ぎとられかけた衣も。脱がされないままでいる白い足袋も。花蜜のようなうっとりした匂いも。宙をさまよっては、押さえつけられる手のひらも、絡み合う指さきも。慈しみ求めあう唇も。連れだって睦みあう声も、結びでとろけていくまなざしも。じんわりと弾けていく熱も。
──すべて、千歌音と姫子の欲しかった永遠の夜なのに。
こんなにも朝日の明るいときには、すべてが眩しくて。姫宮家のご令嬢・千歌音は、どうしたらいいのか、わからない。顔がかなり赤い。井戸があったら水垢離したい気分。
拾った仮面で顔をそそくさと隠し、あさっての方角へ。これでいつものクールビューティ―な「宮様」の貌(かお)に戻れる。
姫宮千歌音は、目をそらし、耳はそばだてつつも、口を覆ってひそかに吐息を洩らす。
あの巫女たちは、私たちの前世。そして、この浮世には存在しない。
死がふたりをわかつまで、離れがたきのひとときをむさぼるように楽しむならば。情熱と生との喜びに満ちた、あの愛あふれる巫女たちほど愚かで、しかし、憐れで、どこか愛おしいものもなかったはずで。あれが私たちの罪ぶかき過ぐり世ならば、私たちのいまはどこへ導かれるというのだろうか。
主のプライバシーを暴くことのない、部屋の扉が不意に開かれんとする。
ノックもなく、声掛けもなく。姫宮邸ではありえないことだ。しかし、前日からありえないことばかり、この邸内で続々と起きる。刃先を牙突よろしく構えてみせながら、千歌音は息をひそめた。後ろには見てはならない景色がある。侍女のひとりだったならば、扉が全開する前に脅して引き下がらせよう。極道な仮面つきで、殺気を放っていたならば、効果てきめんであろう。
重厚な扉の前で、突っ立っていたのは制服すがたの姫子、まぎれもなく来栖川姫子だった。
しかし、千歌音は一瞬目を疑い、きょうはもう何人目だったかしらとうすらぼんやり考え、それでも間違いなく、彼女こそは姫宮千歌音が生涯ただひとりの運命の相手として愛すべき姫子であると、たしかに見てとった。ああ、姫子。私の愛すべき姫子は、やはり貴女だけ。鬼の仮面を外しながら、いやさかの笑顔をまとう。千歌音は手にしていた日本刀を落とそうとしたが…。
その姫子に抱き着いていたのは──千歌音と姿形は同じであるはずの…そうあの女神だった。
姫子、どうしたの。ふたりだけのパーティーに邪魔なお供まで連れてきて。いやいや、この疫病神がついてきたというのが正しいところ。どうやら、かおんたちは主に似ているからという理由で、あいつを捕獲後にうっかりと野放しにしてしまったらしい。あかんがな。神さまはこの世界がことのほかお気に召したようである。
千歌音は頭を抱えたくなった。
姫子も八の字眉で困ったふうだった。好き放題されたのか、どことなくブラウスが乱れている。女神、許すまじ!! 柄を握る手に殺意がこもる。飛天御剣流九頭龍閃で再起不能にしてくれるわッ! さきほどの、しおらしさはどこへやら、怒り爆発すさまじい。
しかし、来栖守姉が言うには、こいつにうかつに逆らうと墓場送りにされるとのことだった。
やはり、姉妹直伝のあの「必殺技」を使って目くらましをしかけるしかないのか。姫子がなにかを目で訴えてくる。千歌音を見ているのではなく、うしろのふたりの前世の巫女のあれやこれやの艶事が丸見えになっているに違いない。ねえ、ほんとにこれがカップ焼きそばひとつ、ふたつを無駄にした罰だとしても、神様、重すぎやしませんか。
「…千歌音ちゃん、わたしたち、どうしたらいいのかな」
「とりあえず、本もの以外は除霊したほうがいいのかもしれない…。そこの色情魔の女神もふくめてね」
本ものって何なのだろう。姫子と千歌音と姫子と千歌音、それから千歌音と、いくつまで増えるのか。
この世界は私たちが主役のはずだから、この姫宮千歌音と来栖川姫子とが本ものにあるはずです。でも、私たちは複数いて、世界が違えば偽物になってしまうのかしら──?
姫宮千歌音にはもはや何がなんだかわからない。
ああ。もういっそ、ロボットでも召喚してこのお屋敷ごとぶっ潰して、姫子だけ手のひらで守って、どこかへ逃げるべきか──そんなよからぬ考えまで頭をよぎる。
【目次】神無月の巫女×姫神の巫女二次創作小説「召しませ、絶愛!」