陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

漫画『ベルサイユのばら』

2020-10-18 | 読書論・出版・本と雑誌の感想

あなたの池田理代子はどこから?
ちなみに私は『ベルサイユのばら』からではありません。『おにいさまへ…』という毛色の変わった作品名すらも、神無月の巫女アニメから知ったあとです。

私がはじめて池田作品を手にしたのは、院生時代。
当時、研究の傍ら勤めていた某図書館で。書架整理をしていて、『聖徳太子』というコミックスを見つけました。『ベルばら』のことは、宝塚のミュージカルにされた原作漫画、ぐらいの知識しか持ち合わせていませんでした。私の実母は知っていたはずですが、漫画好きでもなかったので、世間の幸福なヲタク家系のように、その伝説を受け継ぐこともありませんでした。まあ親から押し付けれていたりしたら、絶対に嫌いになっていたのですがね。

『聖徳太子』を読み、歴史好きをうならせるよう漫画への翻案と、気高く美しいその生きざまの描写に惚れこんだ私は、池田作品にハマります。『女帝エカテリーナ』『オルフェウスの窓』『天の涯まで 』などなど。名古屋の美術館でのロダン展のときには、モデルになった日本人少女・花子について描いたコミックもありました。なお、断捨離をすすめた私がゆいいつ残した池田作品は、『ベルばら』と『聖徳太子』のみです。

この名作漫画を読まずして、少女漫画を語るなかれ。
漫画『ベルサイユのばら』には、そんな賛辞が相応しい。1990年代にアニメ「少女革命ウテナ」が社会現象となり、おりしも、社会学上の論壇誌では当時はやりのポストモダニズムめいた論調のなかに、ジェンダー学が一流派として地歩を固めつつありました。『ウテナ』は言うまでもなく、『ベルばら』の娘世代が育んだものです。

私が『ベルばら』を初読したのは、もう10年以上前になります。
私が生まれる前に、作者が自分と変わらぬ20代前半でこんな凄い漫画を世に問うたことに相当驚きました。しかも、この漫画家は正式な美術教育など受けてはいない(自分で絵の練習をしたらしい)、けれど少女漫画らしいデフォルメを抜いても、見目良いデッサンには目を見張ります。高く繊細な表現力、読んでいることらが恥ずかしくなるような詩趣あふれるモノローグ。そうかと思えば、少女漫画に似つかわしくないようなおどろどろしい場面もあり、ユーモアもあり、悲哀もある。

この漫画の主要人物は、名家に生まれながら男として育てられた女性士官オスカル、その幼なじみの側近アンドレ、悲劇の王妃マリー・アントワネット、そして異国の伯爵フェルゼン。初めて読んだときには愚かしく思えた王妃にも、気品と誇りがあったとこと。凛然としたオスカルの美しさと儚さ。一途に女を愛した男アンドレとフェルゼンを待ち受ける、あまりにも無情な結末。どれも、ただならぬ恋の顛末です。

けっして、綿菓子のような甘ったるくふわふわした恋愛ものでありません。むしろ、可愛い、甘い、ゆるやかな優しさに満ちた、消費者におもねった最近の少女漫画にはない斬新さを、この漫画は与えてくれたのです。いささか古くさい女の心理バトルやお伽の世界のようなきらびやかな貴族社会のお話はあるけれど、終盤になるにつれて訪れるのは、自由と平和の獲得のためにたちあがった市民たちの戦い。ドレスと宝飾に身を包んだ王妃は罵倒され、恵まれた境遇にいた誇り高い女傑はその出自を恥じ、貧者の側に生きよう、真実の恋にひたむきになろうと願うのです。

この漫画がいささかも古さを帯びないのは、作者の権力へ対する強烈な異議申し立てなのでしょう。庶民の貧苦を知らずして血税を浪費する上流階級への非批判と諧謔。そうした部分は、少女ロザリーやその野心家の姉たちによって、うまく作劇されています。作者が学生運動経験者というのも頷けますね。日本にはポーヴォワールや、ハンナ・アレント、スーザン・ソンタグのようなすぐれた女性哲学者はいないのですが、古典ともいうべき少女漫画家は立派な思想家となった、と言うべきかもしれません。

なお、この作品の続編というべきなのが『栄光のナポレオン-エロイカ 』。
こちらも歴史好きにはお勧めの一作。後年になると、池田先生はアシスタントさんと共同名義で画風がガラッと変わるのですが、艶めかしい男女が織りなす史実ないまぜの人生模様の描き方は健在。それにしても声楽家になったり、翻訳もしたり、随分と多才な人ですよね。20代にして自身の著作権管理会社を設立するあたり、経営者としても才覚があると思います。

なお、私がいまだ愛蔵しているのは集英社文庫全5巻。
著名人の寄稿があるのですが、今は亡き少女小説家の氷室冴子先生がヲタク色丸出しで嬉々として語る解説がおもしろかったです。

最終巻は本編プラス番外編がありまして。
この番外編があまりに怖いので、私はなかなかこの傑作を数年おきでないと本棚から引っ張り出して読めないというディレンマがあるのでございます。

それにしても、美形美男のオンパレードではなく、キャラ造形が豊かでおもしろい。
必定、革命前夜に結ばれるアンドレの健気さと男気、彼にしか見せないオスカルのしおらしさには、男女問わず陶酔してしまうでしょう。正直、王妃とフェルゼンの悲恋はあんまり…というのが本音ですね。ルイ16世も愚鈍に見えるけれども、奥さんが違えば名君の器はあったかと思わせる。生まれた時代が違えば、幸せに生きられたはずの人びと。革命もないけれど、起こせないけれども、日々生きるわれわれ読者はなにを想うのか。





今回の読み直しで気づきましたが。
オスカルは要するに、ドラクロワが描いた「民衆を導く自由の女神」になぞらえた存在なんですね。オルレアンの少女とはやや立ち位置が違うけれども。しかも純潔を失わない乙女ではなく、男に愛され、か弱き者をかばい、部下もまもり、親にはあらがい、成熟した女性として世の中を変えようとする。まさに女性の表現者ならではの展開ではないでしょうか。あらくれ衛兵隊ともども、オスカルが命と控えに落としたバスティーユ牢獄は、旧態とした縛りの謂いであったのかもしれません。そして、こんなオスカルに憧れながら、強さと可憐さとを求められることに疲れているのが、この現代の女性たちでもあるでしょう。

フランス革命を舞台にした名作文学は数あれども、こちらもそれに引けを取らない傑作だと感じます。古い少女漫画は教養の高いひとが書いているので、大人になっても読めるのがいいですね。永遠のバイブルです。


(2020/09/20)





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