陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

七転八起のキャリアから学んだ、わが仕事の極意

2023-07-17 | 仕事・雇用・会社・労働衛生

数年前から、私は手書きノートもしくはExcelで自分の年表をつくっています。
すでに四十代半ばの就職氷河期世代、平均寿命の半分を生き、人生の折り返し地点。安泰の正社員ライフを現在は手に入れたとはいえ、倒産廃業リスクもあります。


もし、今の職務を失ってしまったら?
また、就職活動をはじめねばならない。今度はもう自分の希望する職種や勤務地は選べないかもしれない。良好な人間関係を築くことができずに、また傷つくかもしれない。いや、そもそも、現勤め先でも、うっかりミスが重なったら責任追及で追い出されるかもしれない。

そうでなくとも、健康不安があって長期療養になれば退職を余儀なくされてしまいます。
何を隠そう、人事責任者の私が、様々な諸事情で会社を去ったひとの手続きをしてきたのですから。こうした怖れから逃れるために、戒めのために、私はこの記事を書き残しておくことにしました。


2010年代からコロナ禍真っ最中の2021年あたりまで。
私は個人事業主と兼業での非正規職、派遣や契約社員での会社員就業を経験しました。思い出すだに苦々しく、腹立たしい経験のほうが多い。けれども、私はその仕事で、かなり大事なことを学びました。


・どんなに頑張っても努力が空回りすれば評価されないこと。
・苦境に立たされても仕事の目的を見失ってはならないこと。
・自分の待遇に不満があるからと言って、就業環境を乱すようなふるまいをしないこと。
・年齢に応じたスキルが伴わなければ、高学歴だろうが資格持ちだろうが見下されてしまうこと。
・自分の仕事の苦楽ばかり求めずに、業務の流れ全体で自分の役割を考えること。
・自分の貢献を過剰にアピールして気に入られようとしないこと。
・勝手に自己判断せずに、迷ったときには上長の指示に従うこと。
・好き嫌いでひとをえり好みしている管理者は、いずれ部下から嫌われること。
・ひとには向き不向きがあり、特性に応じた業務配分をすべきで、決して自分と同じだけできるとは限らないこと。
・他人のミスにはなるべく寛容になること。
・仕事内容が単純であればあるほど、人的ネットワークの重要性が高まること。
・ときには、率先して自分が汚れ役に徹してみること。
・人に訊ねるのみならず、書類の意味を自分なりに調べて基礎的な理解を積んでおくこと。

正社員経験がある人ならばわかるはずです。
こんなことは、とっくの昔に。なのに、責任のない非正規仕事や短期雇用を繰り返していると、こうした仕事の胆に気づかないまま年をとってしまい、態度だけでかくなってしまいます。

派遣や契約社員としてトラブルがあるごとに、私は派遣の営業や人事部に訴え、メンタル不全を理由にストライキよろしく就業拒否をしてきました。

そしていま、労務管理責任者の私は。
従業員のこうした問題行動に悩まされているのです。自分望み通りのクーラー設定ができないからと勝手に帰る主婦、労働時間を増やしてくれない憂さ晴らしにタイムカードを押そうとしないパート社員、ささいな言動でこじれて直属の上司を飛ばして経営者に直談判にくる社員。無断欠勤や遅刻早退を繰り返し、注意しても直そうとしない問題社員。

しかし、彼ら彼女らの行動は、私自身の過去にもあてはまったのではないか、と思えます。
職場がいやだと仮病でずる休みをしたことがある自分、備品を使わせてもらえず私物をもちこんだがこれ見よがしに派手なものを置いたこと。休憩してと言われても、能力を見せつけたいがために意地になって時間オーバーで働き詰めて、結局体調を崩したこと。指示が気に入らず、返事をしなかったり、ふてくされたり、言いかえしたりして上長に反感を抱かれてしまったこと。

すべて私の落ち度、弱さの極みにあるものです。そして、私が幾度も職場を変えても恵まれなかった、心が満たされなかったのは、私自身の働き方にも問題があったのです。もちろん、職場にも多少のモラハラ気質があったことは否めませんが。

ある短期の派遣業務で、私はがんばっていたにも関わらず、不当にシフトを減らされたことがありました。そこの女性リーダーに嫌われてしまったのです。けれども、悪友とつるんでリーダーに刃向かってもしかたがない。空いた時間を転職活動に注いだ私は、さらに好条件の職場を得られて、キャリアップすることができたのです。しかも、その派遣業務の最終日にはいじわるだったリーダーから、最後の華を飾る職務を与えられて、お礼まで言われたのです。派遣先の営業からは、万葉樹さんはコミュ力が高くて、チームのみんなをよくまとめ、支えていたとの評価までいただきました。

あの苦しかった日々は、私がいまのように人事を扱う立場になるために必要だった試練。
今では、そう考えるようにしています。そう思えば、一概に、派遣で仕事を転々とした日々も悪くはなかった。むしろ、若い頃からずっと一社で勤めならば、井の中の蛙なんとやらで、傲慢なサラリーマンになっていたのかもしれません。

現在の勤め先でも、まだ二年目の私はたびたび経営者や上司からお叱りを戴くことがあります。その言いようはときに理不尽でムッとしないでもありませんが。そんなときの感情のリカバリーこそが私が過去にできなかった職業訓練ではないのか、と考えることにしているのです。

意識を変えれば行動が変わり、運命が変わり、やがて天職へたどりつく。そうした経験は私に今後も、ままならない人生と挫折からたちあがる勇気をくれるでしょう。

(2023/07/17)




この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 一ノ宮神社にまいる 2023年夏 | TOP | ★★★神無月の巫女×京四郎と永... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 仕事・雇用・会社・労働衛生