小さなお子さんのいらっしゃるご家庭では勉強時間の確保も一苦労だろうと思います。かく言う私の場合は、論文不合格の後、子供が生まれ、こんな生活(今でいえば「超ベテラン受験生」の領域だったのですが)を、もういつまでも続けられないだろうなと覚悟を決めた翌年になんとか合格できた、という経緯でした。子供がいる生活といない生活では生活自体が本質的に違うと思います。もしかしたら大家族だとそうでもないのかもしれませんが、核家族では子供にとっては「両親がすべて」ですので、ダンナは仕事だけしていればよいというわけにはいかないし、さらに身を削るような思いで勉強までするんですからね。
まーさんの弁理士試験奮闘中!(吉田ゼミへのリンクが張られているようで、ありがとうございます。このサイト主催者「まーさん」とは誕生日が一緒だったので驚きました。)の、「一日の勉強時間」の記事
http://plaza.rakuten.co.jp/patentbeginner/diary/200411090000/
を読んでそれに関連する私の当時の思い出話をしたいと思います。単なる思い出話なのでご容赦願いたいと思います。
私は、勉強時間の記録をつけていました。以前にも述べたとおり、勉強時間を記録していくと、無駄な時間というのを認識できるようになっていきます。その結果、最後には、朝、会社に行くときに駅のホームまで歩いてきて、列に並んで立ち止まり、電車が近づいているのが見えている状態、から、目の間に電車が停車してドアが開く瞬間、までの1分間を無駄にしている、と気がつくようになりました。
そしてその時間さえも生かそうと思って勉強の工夫をしました。これは普段から意識していないとできません。そういうことに気づかせてくれたという意味では勉強時間を記録する、というのは私に合っていたと思います。細切れの時間を生かすことを意識してできるようになりました。これは大きかったですね。土日には昼間は勉強のためだけに電車に乗りに行ったりしていました。平日毎日22時まで残業をしても、時間を拾い集めたら週30~40時間の勉強時間になりました。
ただ、家に帰ると小さい子供がそれこそ力の限り泣いている状況ではやはり家では勉強どころではありませんでした。子供への愛情と天秤にかけることなどできない相談で、かといって、勉強しなければ受からない。
私は子供ができてからは家では勉強できないものとして諦めることにしました。勉強できないイライラを家族にぶつけるのはなんとなく筋が違うように感じていたということもありましたが。
「外で勉強した」というと聞こえはいいですが、「日々の勉強をファミリーレストランで」という手はありませんでした。そんなことに恒常的に使えるお金はなかったですね。当時は職場も住居もあまり都会ではなかったので無料自習室のようなものも近くにはありませんでした。
どこで勉強したのかというと電車の中と駅のホームです。あえて帰宅を遅くし、地元の駅(ちょっと都会からは離れていました)のホームのベンチに踏みとどまって鞄を机にし勉強してから帰るという「毎日帰りは遅い」という生活で妻には了承してもらいました。その間は子供を妻に任せっきりになってしまいますが、今年で絶対に終わると誓っていました(まだ子供が小さかったからそれで済んだので、そういう意味では私は恵まれていたと思います。もちろん、今では十分にカバーしているつもりです)。
終電が終わる時刻まで駅のホームに踏みとどまり勉強をして、終電の乗客と一緒にホームを出ます。毎日の帰宅は深夜1時前で固定されているような状況でした。仕事がとても忙しい人なら毎日毎日そのくらいの時間に帰る人だってたくさんいるのだからと考えることにしました。
それでも深夜、家に帰ると子供が泣いている。妻は育児疲れで可哀想なほど動けない。泣いている子供を片手で抱きかかえながらあやす一方、もう片手には法令集を持ってパリ条約の条文を読んだりもしました。
冬のある寒い日、すごく寒くてすぐに帰りたかったけれども、帰ってしまってまた勉強できなかったらつらいなと思い、なんとか頑張って踏みとどまってベンチで勉強していました。両手両足に震えがきて「なんか寒いな。」と思って周りを見回すといつのまにか雪。
頭や服に絡まる雪を払いながら家に向かって歩いているとき、「こんな生活をもう1年やれといわれたとしてもきっと自分にはできない。」と思ったら、涙が出てきたりもしました。
「人間、あきらめが肝心なんじゃないのか。」「報われない努力っていうのもあるんじゃないのか。」
多くの人に言われました。それでも応援してくれる人がいたから頑張れたし、一緒に頑張っていける仲間がいたから頑張れた。今思えば単なる自己満足の世界に過ぎないのだけれども、当時、仮にダメで今年で終わってしまったとしても「自分は本当に頑張った。あれ以上のことは自分には不可能だった。」と胸を張って言える自分になりたかった。
私以外の人はみな能力があって優秀な人たちでした。周りの人と同じように勉強していたはずなのに、毎年、私だけおいてけぼりを食っていました。私は、いつしか、こんな私でも、自分に与えられた環境は決して勉強に有利とは思えないけれども、少なくとも自分に与えられた環境の中で自分ができる限りの努力を尽くし切った、と言い切れる心境になれたとしたら、結果はついてきてくれるに違いない、と思うようになっていました。ぜんぜん理屈は成り立っていないけれども、単純に純粋にそう信じていました。
そんな思いになってからは、他の受験生がどの程度必死で勉強しているか、というようなことはあまり気にならなくなりました。受験生が遊んでいても、別にそんな感じで生活をエンジョイしながら受かるように見える人も現実にいるので、それはそれであまり気にならなくなりました。
あまり勉強していないように見える人が合格しても、人は人、自分は自分。合格前年に落ちたときには、「あの人より遙かに勉強している私が落ちたから悔しい。」などという気持ちはあまりなかったです。「私は果たして精一杯やったのか。きっと自分にはまだ足りない何かがあるのではないのか。」という自分への問いかけがすべてでした。それに対して「いや。私は本当に精一杯やった。私にこれ以上のことを求められても絶対に無理だった。不可能だった。」と言い切れなかったとしたら、他人との戦いの前に、自分との戦いに負けていることになるからと思っていました。
まーさんの弁理士試験奮闘中!(吉田ゼミへのリンクが張られているようで、ありがとうございます。このサイト主催者「まーさん」とは誕生日が一緒だったので驚きました。)の、「一日の勉強時間」の記事
http://plaza.rakuten.co.jp/patentbeginner/diary/200411090000/
を読んでそれに関連する私の当時の思い出話をしたいと思います。単なる思い出話なのでご容赦願いたいと思います。
私は、勉強時間の記録をつけていました。以前にも述べたとおり、勉強時間を記録していくと、無駄な時間というのを認識できるようになっていきます。その結果、最後には、朝、会社に行くときに駅のホームまで歩いてきて、列に並んで立ち止まり、電車が近づいているのが見えている状態、から、目の間に電車が停車してドアが開く瞬間、までの1分間を無駄にしている、と気がつくようになりました。
そしてその時間さえも生かそうと思って勉強の工夫をしました。これは普段から意識していないとできません。そういうことに気づかせてくれたという意味では勉強時間を記録する、というのは私に合っていたと思います。細切れの時間を生かすことを意識してできるようになりました。これは大きかったですね。土日には昼間は勉強のためだけに電車に乗りに行ったりしていました。平日毎日22時まで残業をしても、時間を拾い集めたら週30~40時間の勉強時間になりました。
ただ、家に帰ると小さい子供がそれこそ力の限り泣いている状況ではやはり家では勉強どころではありませんでした。子供への愛情と天秤にかけることなどできない相談で、かといって、勉強しなければ受からない。
私は子供ができてからは家では勉強できないものとして諦めることにしました。勉強できないイライラを家族にぶつけるのはなんとなく筋が違うように感じていたということもありましたが。
「外で勉強した」というと聞こえはいいですが、「日々の勉強をファミリーレストランで」という手はありませんでした。そんなことに恒常的に使えるお金はなかったですね。当時は職場も住居もあまり都会ではなかったので無料自習室のようなものも近くにはありませんでした。
どこで勉強したのかというと電車の中と駅のホームです。あえて帰宅を遅くし、地元の駅(ちょっと都会からは離れていました)のホームのベンチに踏みとどまって鞄を机にし勉強してから帰るという「毎日帰りは遅い」という生活で妻には了承してもらいました。その間は子供を妻に任せっきりになってしまいますが、今年で絶対に終わると誓っていました(まだ子供が小さかったからそれで済んだので、そういう意味では私は恵まれていたと思います。もちろん、今では十分にカバーしているつもりです)。
終電が終わる時刻まで駅のホームに踏みとどまり勉強をして、終電の乗客と一緒にホームを出ます。毎日の帰宅は深夜1時前で固定されているような状況でした。仕事がとても忙しい人なら毎日毎日そのくらいの時間に帰る人だってたくさんいるのだからと考えることにしました。
それでも深夜、家に帰ると子供が泣いている。妻は育児疲れで可哀想なほど動けない。泣いている子供を片手で抱きかかえながらあやす一方、もう片手には法令集を持ってパリ条約の条文を読んだりもしました。
冬のある寒い日、すごく寒くてすぐに帰りたかったけれども、帰ってしまってまた勉強できなかったらつらいなと思い、なんとか頑張って踏みとどまってベンチで勉強していました。両手両足に震えがきて「なんか寒いな。」と思って周りを見回すといつのまにか雪。
頭や服に絡まる雪を払いながら家に向かって歩いているとき、「こんな生活をもう1年やれといわれたとしてもきっと自分にはできない。」と思ったら、涙が出てきたりもしました。
「人間、あきらめが肝心なんじゃないのか。」「報われない努力っていうのもあるんじゃないのか。」
多くの人に言われました。それでも応援してくれる人がいたから頑張れたし、一緒に頑張っていける仲間がいたから頑張れた。今思えば単なる自己満足の世界に過ぎないのだけれども、当時、仮にダメで今年で終わってしまったとしても「自分は本当に頑張った。あれ以上のことは自分には不可能だった。」と胸を張って言える自分になりたかった。
私以外の人はみな能力があって優秀な人たちでした。周りの人と同じように勉強していたはずなのに、毎年、私だけおいてけぼりを食っていました。私は、いつしか、こんな私でも、自分に与えられた環境は決して勉強に有利とは思えないけれども、少なくとも自分に与えられた環境の中で自分ができる限りの努力を尽くし切った、と言い切れる心境になれたとしたら、結果はついてきてくれるに違いない、と思うようになっていました。ぜんぜん理屈は成り立っていないけれども、単純に純粋にそう信じていました。
そんな思いになってからは、他の受験生がどの程度必死で勉強しているか、というようなことはあまり気にならなくなりました。受験生が遊んでいても、別にそんな感じで生活をエンジョイしながら受かるように見える人も現実にいるので、それはそれであまり気にならなくなりました。
あまり勉強していないように見える人が合格しても、人は人、自分は自分。合格前年に落ちたときには、「あの人より遙かに勉強している私が落ちたから悔しい。」などという気持ちはあまりなかったです。「私は果たして精一杯やったのか。きっと自分にはまだ足りない何かがあるのではないのか。」という自分への問いかけがすべてでした。それに対して「いや。私は本当に精一杯やった。私にこれ以上のことを求められても絶対に無理だった。不可能だった。」と言い切れなかったとしたら、他人との戦いの前に、自分との戦いに負けていることになるからと思っていました。
途中、目頭が熱くなりながら読ませていただきました。先生も同じような気持ちでいたこと、また、すごい努力を続けていたこと、大変励まされました。今後苦しいときでも今日の先生の記事を思い出し頑張りたいと思います。
これからもよろしくお願いします。本当にありがとうございました。
私は3歳と10歳の子供の母で、フルタイムの仕事と莫大な借金を抱えて、まさに背水の陣で弁理士試験の勉強をしております。
今年の春から勉強を始めたばかりですが、経済的にも、子供達のためにも、育児や家事をたくさん負担してくれているダンナや親のためにも、こんな生活は何年も続けられません。
自分のキャパの中で最大限の努力をしたと言い切れるように頑張り通したいと思います。
今後ともよろしくお願いします。
与えられた環境は人それぞれ違うので、うらやましい環境にいる人のことをうらやましいと思ったり、自分に与えられた環境に不満を感じたりします。
でも、そのようなことをいくら考えたり、いくら不満を言ったりしたところで、それによって「自分に」実力がつく、なんてことはないですよね。
ぜひ「与えられた環境の中での精一杯の努力」をして下さい。きっとご家族にもその思いは伝わっているはずで、応援してくれる人たちの存在がまた自分を奮い立たせる原動力になるに違いありません。