yosiの別館

日々の出来事また思いついた事、感じた事などなどを綴っていきます。沢山の人と出会い楽しみにしてます。

11ヶ月が経ち

2012年02月13日 11時07分55秒 | 日記
皆さん、忘れてしまっただろうなぁと思う。

何も大きな被害がなかったところは、変わりなく生活できているのだから
それでいいと思う
そっとして欲しい

でも、時々、忘れないでと叫びたくなる

あの日、3月11日
地震で家の中ぐちゃぐちゃなった
防災無線で大津波警報が出てるって知って

それでも、変わらず自宅には戻って来れるよねと思って
近所のスーパーの屋上駐車場に逃げた
雪の降る寒い日だった
第1波の津波は、じわじわ押し寄せてきたので
まあ、仕方ないかあの地震だもんぐらいで若干諦めた
が、2波以降は
ザザザザザー、メキメキメキ、バリバリバリと沢山な音と
悲鳴が、泣き声が
渦を巻いてきた黒いお水
あたり一面、海だった
あれが夢であればいいのにと何度も思った

その夜も、次の夜も夜空がきれいだった

次の日も、その次の日も水が引かず瓦礫がいっぱいで家に行くことさえ出来なかった

近くの避難所は、陸の孤島になってしまったようで
ヘリコプターで、あっちこっちと移動させられてた

やっとこすっとこ、家に戻れたのいいけど・・・
どう言い表したらいいのか、めちゃめちゃ、手がつけられない
避難所さえいけない状態

でも、仕方がなかった

幸いに、飲み水とストーブ、灯油、卓上ガスコンロ等を確保でき
汚くて、臭くてドロドロの家で、何とか生きていけた
近所の人たちとも助け合い生活できてた
支援物資も徐々に回ってきた

数日経つと、誰が亡くなったかれが亡くなった
まだ、見つかってないなどなど
いろんな情報が入ってくる
娘の耳にも、後輩が、先輩が○○くんのお母さんが、おばあさんが、おじいさんが
お世話になった先生が
そのたび、悲しく辛くて胸が苦しくて
時々、不安定に泣くし
凄く疲れた感じになる

この場所では、まともな生活が出来ないと感じた

引っ越した
石巻を出た

父と母は、住み慣れた場所から離れたくないと残ったが

私は、一旦この場所から離れたほうがいいと感じた

11ヶ月経った今も、生活環境はなんら変わってない
家はまだ修繕入らない、大工さんが忙しいとか何とかで
隣近所も、解体して更地になっていなくなった
地域の小学校は、統合してなくなるようだ
人が戻って来れない地域となった

私は、これからどうしたらいいのだろう?
日々考える毎日が続いてる
あと少しで1年が経つのに
目に見える変化がないのが悔しい

公園等にある瓦礫の山も、他で処分するのは難しいのかなぁ
また、夏が来たらハエとか発生しちゃうのかなぁ
住む場所も、公園も、小学校もなにもかもなくなった地域
また、復興して人住んでくれるのかなぁ
私も、あの家に変わりなく戻っていけるのかなぁ