残りの人生
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ひっくるめて私の人生

新しい土地で 66

2020-08-21 13:48:24 | 日記
33年前 覚えている?

空き地の真ん中に18件の新興住宅街があるだけ
念願の一軒家とはいえ東京の便利な生活から
牛乳1本買うのにも歩いて20分のスーパーまでいかないと
何も手に入らな田舎に引っ越してきた

でも陽祐はのびのび楽しそう
引っ越してきて初めて分かったことだけど
新興住宅には陽祐と同い年の子が5人もいた!
引っ越し早々お友達ができて
目の前の空き地で夕方遅くまで遊んでいたね!

どうしてもなじめなかった東京港区の保育園をやめて
地元の幼稚園へ 
保育園と違い、半日保育!
本当に嬉しそうだった
幼稚園へ面接に行った時の輝いた目
いっぺんで幼稚園が好きになったよね?
今までうんと我慢していたんだね









こんなご時世 
せめて安否だけでも
知りたい
それさえ許されない

いま何を考えているの
幸せにしているの?
もし親に負い目を感じているのなら
それはかわいそう

でもあなたにも親がいたこと
忘れないでほしい


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引っ越し 65

2020-08-16 15:23:34 | 日記
1987年12月 港区港南荘から蓮田の一軒家に引っ越してきた
陽祐5歳 妹生後2か月

あれは雪が降って寒い日だった
周りには空き地だらけの新興住宅街
生後2か月の赤ん坊をかかえての引っ越しは思った以上に大変だった
波乱の引っ越しだったなぁ


















覚えている?
引っ越した日の夜
あなたは40度の熱を出した
そして ほっぺたが腫れあがった
たぶんムンプス・・・
右も左もわからず小児科がどこにあるのかもわからず
私たちも疲れ切ってどうしていいか途方に暮れた・・
電話帳から「小児医療センター」を探し出して電話した
電話だけは初めに契約しておいてよかった!

小児医療センターは難病の子だけを診る特殊な病院
などと知らなかったのでなんとか診察してくれるよう頼んだがだめだった

なんとか次の朝まで待って近くの本田内科へ
先生「あ~ぁ これはおたふく風邪だね」
よく診てくれてお薬だしてくれて一安心
妹に移さないよう隔離した

ねぇ陽祐 元気でいるかい?
わたるやちはるも元気かい?
何度メールしても返事はない
どうやったら平気になれるのかな
だれか教えてほしい
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妹のお宮参り 64

2020-08-11 11:10:13 | 日記
産まれて1か月
水天宮にお宮参りにいったよ

あなたが「お腹の赤ちゃんも元気で育つんだよ!」
と言ってくれた どんなにその言葉が励みになったか
未だに忘れないよ あなたのやさしさ 強さ

一生懸命手伝ってくれた

















寂しさを感じないようお父さんはよく公園に連れ出してくれた

9月26日早朝 そろそろお腹が痛くなってきて
病院の開始時間9時まで待って 陽祐連れてお父さんと3人タクシーで病院へ
看護師さんから 生まれるのはまだ先だからいったん家で待機していてください
そういわれてお父さんと陽祐でタクシーで元来た道をアパートに向かい
コンビニで朝食と昼食を買ってアパート到着
と同時に病院から電話 「はい~産まれました~」
えっ?まだまだじゃないの? 朝ごはんは?
陽祐も妹も安産だったんだよ~

で、また元来た道をタクシーで病院にトンボ帰り
お父さんと陽祐は男同士で楽しそうに妹と面会

うらやましかったよ お父さんと陽祐 

もう、本当に会えないのかな
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妹が産まれて 63

2020-08-06 15:02:35 | 日記
1987年9月26日
妹が産まれたよ!

陽祐 4歳9か月と26日目のこと

あなたはお兄ちゃんになった
なった?いやならざるを得なかった
お父さんお母さんの愛情を一身に
浴びて育ったあなたには
許容しがたいことだったのかもしれない

私自身、5歳の時に弟が産まれ
男子が欲しかった父にとって
何を差し置いても
弟の存在が1番になった

だから陽祐、あなたには私のような寂しさを
感じさせることはすまいと誓った
だけど結果、あなたはきっと
寂しさを感じていたのに違いない

妹とうまく関係が築けなかった一因は
そこにあるだろう  親の責任だね

今、一番望むことは兄妹の関係まで
絶たないでほしい
親はもうすぐいなくなる
血がつながったものが
この世では兄妹しかいなくなる
考えてほしい 

北里研究所病院にて

ぼくはね 妹がいじめられたら
絶対ぜったい助けるんだ!

おれの妹になにするんだよ!!
ってやっつけてやるんだ!


そんなこと言っていたんだよ
頼もしいお兄ちゃん!
嬉しかったよ













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