残りの人生
笑って過ごしたい
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ひっくるめて私の人生

4歳のある日 57

2020-06-28 14:27:41 | 日記
お父さんもお母さんも
子どもは陽祐ひとりでいいと思っていた
陽祐ひとりにありったけの愛情を注ぎたかったから
でも 4歳を過ぎたころからあなたは自分の社会を持ち
私たちの知らないところでちゃんと自分の居場所を作れるようになった
どんどん大きくなっていくあなたにちょっと寂しささえも感じた

そして陽祐のためにも兄弟が必要だし
陽祐への愛情はゆるぎないものという確信が持てたし
というわけで2人目妊娠

陽祐はお腹が大きくなっていくお母さんに
とてもやさしかった

妊娠5か月になるとき産科の血液検査で
トキソプラズマに罹っていることがわかった
もし妊娠初期にり患したものだったら
水頭症のような障害児が産まれるかもしれない
妊娠を続けるかどうか検査結果次第で決定することになった。

結果が出るまでの2週間は地獄だった
もし結果が悪ければ妊娠を続けるかどうか判断をしなければいけない
2週間悩みに悩んだ
そんな時私は
「陽祐だけでも元気に育ってね」と独り言のように言った
するとあなたはそれを聞いていて「お腹の赤ちゃんも元気に育つんだよ!」と私に向かって怒ったように言った
まだ4歳なのにちゃんと事情が分かっていた。
なんて優しい子なんだろう 頼もしいのだろう
お母さんはその言葉がどんなに励みになったことかわからない。

検査結果、り患したのは妊娠する何年も前のことで今回の妊娠には支障がないことがわかり
一安心した。

会津でいつもおじいちゃんと仲良し
航や千遥ともこんな関係であったならどんなに楽しかっただろう










妊娠5か月ころ


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父の日 56

2020-06-19 13:51:06 | 日記
今日は父の日だね
あなたはお父さんが嫌いかい?
そうだね
お父さん、あなたには厳しかったものね
子どもみたいに感情的に怒ることもあったね
意地っぱりで短気で後先考えずに行動してしまう
ところがあるね

陽祐には何でも自分で考えさせて自分で判断させ行動させよう
自分がやりたいこと、いいと思ったこと 何でもやらせよう
もし失敗しても大丈夫なように親がいつもついていよう
私たちの子育ての基本の考え方だった

今考えてみると未熟な子供になんでも判断を任せるなんて
無謀だったね 厳しすぎたね 辛かったね
もしもう一度子育てが許されるなら
ただただ抱きしめて育てるでしょう

あなたは立派に育ったね
誰にも頼らず生きていく力を持ったよね
親でさえ不要になったね
たくましく育ったことはとても嬉しいよ

お母さんはお父さんが大好きなんだよ
お父さんは
家族が大好きでいつもお母さんや子供を優先させて
みんなが喜ぶ顔を見るのが好きで おどけて笑わせたり
ちょっと的外れなんだけどいつも笑わせたよね
笑いの絶えない家族だった と思っていた
旅行にもたくさん行ったね
みんなを楽しませたくて 喜んでいる顔を見たくて
良かれと思ってずんずん進んでしまってひとりで空回りすることも度々

小さい頃はお父さんと陽祐、よく肩車をして2人で散歩に出かけたよ
陽祐が航を肩車するようにね

ある日、散歩から帰った陽祐のおでこにきれいに並んだポツポツ模様が
できていた
えー 何?どうしたの?
じ 実はよそ見しながら歩いていたら陽祐を電柱にぶつけてしまった

そう!そのポツポツ模様は肩車したまま電柱にぶつかり
電柱に巻いてあるゴムにおもいっきり陽祐をぶつけてできた模様
びっくりよ
笑うに笑えない微妙なドジはお父さんの個性
そんなエピソードはたくさんあるよ



大学生のころ、私に内緒で口座に少し多めの金額を振り込んでいたのもお父さん

名古屋の会社を辞めて沖縄に行くことを決めたあなたを
とても心配していた でも絶対に言わなかった
あいつの人生だから好きなように行かしてやれ
いざとなったらいつでも助けに行く

陽祐が旅立つ日の朝、仕事に行く前にたった一言
気を付けて行ってこい とあなたに

だけど仕事に行くお父さんを駅まで車で送る途中、
沖縄は遠いなぁ とつぶやいた
心配だったんだよ
お父さんのつぶやいた声がとても寂しそうで
駅で降ろしたあと私は車の中で泣いた 


あなたと大人の話したかっただろうな
仕事の話
家族の話
家の話
孫の話
お父さん、ときどきとても寂しそうな表情をする
テレビで親子の絆の話を見たとき
父と息子が一緒に仕事をしている場面
隣に孫が遊びに来てじぃじと楽しそうに遊んでいる声が聞こえたとき
口には出さないけど やっぱり寂しそう

私は口に出して寂しい 涙を流して辛いと言えるけど
お父さんは 一緒に泣くわけにはいかないよ
仕方がないじゃないないか うちらが育てた子だよ
うちらの責任だよ しっぺ返しなんだ という

陽祐、お父さんに感謝したことあるよね?
父の日にメールを送ってくれていたこと嘘じゃないよね?
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気管支肺炎 55

2020-06-13 10:32:05 | 日記
あの日のことを思い出すと今でも胸がズキズキ痛む

1987年1月 4歳1か月
お正月を過ぎたある日
日曜日 いつものようにお父さんと3人で
港南荘近くの高輪公園に遊びに行った
午前中 あなたはなんとなくだるそうにしていたけど
それでもいつものように元気に走り回っていた

さぁ お昼になったし家に帰ろうか
その帰り道 急に顔色が悪くなった

帰って熱を測ったら38度
なんで気づかなかったのだろう
つらかったのね

今日は日曜日
明日朝一番で北里研究所病院に行ってみよう
だけど
その晩、あなたの具合はどんどん悪くなっていった
息をするたび 咳をするたびとても苦しそう
気管支に痰が絡むように苦しそうに咳をする

日頃よく熱を出していたけど今日のは違う
救急で行くか ひと晩様子を見るか
まんじりともしないひと晩

月曜日 朝ぐったりしているあなたをお父さんと二人で
タクシーで病院に運ぶ 
お医者さんから 
すぐに入院だよ 肺炎を起こしている
なんでもっと早く連れてこなかったの!


ごめんねごめんね 辛かったね 痛かったね
泣き声も弱弱しいあなたに胸がつぶれそうだった

すぐに点滴に入る
そして 
「ここは完全看護の病院です
ご両親は帰ってください 他のお子さんも
ご両親がついていないのですから
あとは私たちに任せて」

具合が悪くてぐったりしている息子を
おいて病院を出ざるを得なかった

次の日面会時間を待ちきれずに
行った
看護婦さんから
入院してよかったですよ
昨夜呼吸困難をおこして大変でした


あぁもし、もし 私の知らないところで
あなたが死んでしまったら 

面会の時
あなたはまだぐったりしていたけど
昨日より少し血色が戻っていた
お父さんも仕事を早く切り上げて
お見舞いにきた

そして消灯時間
陽祐が寝てから帰ろう
でも 完全看護
時間が来たら病室を出なければいけない
じゃあね また明日来るね
そんな私に陽祐は大泣き 泣いてすがってお母さん帰らないで
そんなあなたを後ろに私たちは病室を後にした
あのときのことは今でも忘れない
私も帰路でずっとずっと泣いていた
そして誓った
もし、次に何かあってもぜったいぜったい
完全看護の病院には入院させない!
辛い 辛すぎるではないか
子どもは親を求めて泣いているではないか
私はそんな子供を捨てるように出てこなければ
いけないではないか
なんと無慈悲な なんと無情な


そんな日々を6日重ね、やっと
退院の許可が下りた
心から安堵した
あんなに嬉しかったことはなかった

アパートに帰る途中、陽祐の大好きなお菓子を買い込んで
今日は特別だよ! 何でもOKよ~

子育て
これからも予期せぬ事態が襲うのだろうな



それから私は体調を崩してしまった
電車、バス、スーパー 閉鎖空間に入ると貧血を起こした
体重は37kgまで減ってしまった

子育ても仕事も家事も何一つ思い通りにならなくて
悩んで悩んで 心身症のような状態になってしまった

もう限界
私は仕事を辞めた
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七五三 54

2020-06-12 14:43:57 | 日記
3歳のお祝い
男の子は3歳と5歳の時に
お祝いするのが習わし

3歳と11か月
私たちの宝
明治神宮でお参り
すくすく大きくなってくれたことに感謝
これからも元気に育てと
願いを込めて
















このあと写真館で記念撮影をしてもらいました




私たちにとってあなたは宝物だった
あなたにとってそれが迷惑だったこと
だとは思いたくない



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従妹の子 53

2020-06-11 14:02:59 | 日記
私には同い年の従妹が府中にいる
会津の母と従妹のお母さん同士も同い年
私たちも同い年
従妹と私、結婚したのも同じ歳
そして陽祐と将貴、あなたたちもなんと!同級生!
二人目の沙織と貴央美も同じ年生まれなんだよ!
貴央美は去年結婚した なんと偶然沙織と同じ年に結婚したんだね
で、航と将貴の子も同じ年
なんて偶然!



子ども2人とも
孫 
みーんな同じ年生まれ
それだけじゃない
結婚した歳まで同じ

将貴は会社を立ち上げて頑張っている

将貴の子は「バスストップ」を上手に歌うようになったって 
本当に上手に歌うんだよ とってもかわいくて涙が出ちゃう



当時は
よく2人で子供連れて遊びに行ったよ
今日は多摩動物公園
偶然にも同じような髪型と服装だね
おもしろいね


















彼女は子供と孫に囲まれていつも幸せそう
どこで分かれ道があったんだろうね
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