死について、どんなに考えても結論は出ない。経験者は存在しないからな。
はっきりしていることは人も、生き物すべては確実に死ぬということ。
死が訪れる時期が早いか遅いかということで、早いからと言って、悲観するのは死を目の当たりにした人だから言えることで、当人は理解しているのかは知る由もない。
’五十歳ぐらいまでは必死で生き続ける、重い荷物を背負って、坂道を喘ぎながら登り続ける、様々な苦しみがある、危機があるそれをなんとか、乗り切って生きるんだ。
その後忍び寄ってくるのが老化で目、歯、その他の器官もガタガタ、六十歳を過ぎれば坂道を転がるように衰える。
老いは悲惨であり、死もまた悲惨。
そこには愛も夢も幸福感もあるとは思えない、ただの絶望。
死を嘆くのか?今まで生きてきて。
生きるために、生き物を殺し食らって生きてきた、牛、鳥、豚、魚・・・死にたくないと悲願することも無視して、殺して食らってきたんだ。
見ず知らずの人が殺した肉片をまったく罪悪を感じることなく、涼しい顔して、食卓で、レストランで食らうんだ。
生きることは罪悪であることは確かだ。
死ぬことに死を宣告された人にかける言葉はない。’(一部引用)