訪問看護ステーションジョジョ(株式会社THS&EK)のご案内

ジョジョは医療ニーズの高い人の訪問看護、療養通所(デイ)老人ホームをしています

困りました。

2015-02-20 21:09:39 | 有料老人ホーム
介護度の減算

ナーシングホームの入居者様で
本当は歩けるだろう人がいるのだが
ナーシングホームは重度の人
歩けるようになったら家に帰らなければならないので
歩けないフリをしていると思われる人がいる。

歩かなければ絶対届かない電灯が消えていたりするので
部屋の中を歩いていると思われるが
「他には行きたくない。良く知っているから」
「今、よーく考えている、歩くかどうか。家に帰るかどうか」と言う。
在宅酸素に連日の輸液。病院なら入れるが病院は嫌
家には帰れるが介護出来るものがいない。

こんな人は
もちろん割り当てられた介護の点数では出来ない。
正直に請求すれば大幅にオーバーしている。
かと言って自己負担出来る人ばかりではない。

人生の終末期少しでも気持ちよくと
看護師も介護士もみんな優しく一生懸命にしているのに
今度の減額は
本当にきつい。きついの一言。

私たちもサービスを
介護度に合わせたケアをすれば良いのだけど・・・
それでは利用者は臭い始めるだろうし
又攻撃的になるだろうし
このままでは介護サイドが疲弊するし
どうすれば良いのだろう。

なんと悲しい老後だろうか。
死にゆく老人に明るい未来はない。
お金持ちでない老人は早く死ねと言われているような気がする。

この仕事をして感動し嬉しい事も多いが
矛盾も多い。
利用者の事なんて考えない
金もうけだけに介護しているふりをしている業者は
今後もきっと安泰だろう。


書類では無く
仕事を成果を見て支払いを決めてほしいものだ


虐待と言うけれど

2015-02-19 08:21:12 | 訪問看護
周りは虐待と言うけれど

介入して見れば妻が具合悪くなった老々介護の夫

夫は一生懸命に
妻を介護しているのだが
思うようにいかず不安でイライラして手が出るようだ。

そんな人は沢山いる。
それを周りの者が虐待と騒げば
なおさら孤立し虐待が進む。

どの夫にも共通して言えるのは
介入直後は「来なくて良い」という。
どうせ虐待と言われるのだからという思いがあるのだろう。


それでも夫は介入を試してみる。(夫の葛藤を感じる)
夫は笑顔で対応。よそ行きの顏
暴力を隠そうとするのだ。
そして隠すことが出来きなくなって夫が暴れる。
本当の姿を出して、その後にやっと
少しずつ夫が看護師を受け入れ
夫自身が看護師の訪問を希望する。

虐待と言われる人を何人か介入しているが
夫が食事の用意や後片付けをしている
妻の介護をしている
子供はいても殆ど介入していない。
子供に遠慮しているのか疎遠になっている事が多い

彼らは健康な介護者では無い。
彼らも介護が必要になってきている
介護は若い人でも不安なのだから
高齢者の夫の苦しみはもっと強いだろう。

だからといって手を出すのは良い事ではないが
夫の言い分もわかる事が多いので
何とも言えない。
ただ夫の話を傾聴するのみしか出来ない

先日も夫から
「都合ついたから来てほしい」と連絡があった。
用事があって休むことになっていたけど
どうにか都合付けたと言うのだ

他の夫も
訪問看護を断っていたけど今は
子供に話しても・・・と連絡が来る。
「貴女にしか頼めない」と。
たわいない事だけど
肉親では冷静な対処できず喧嘩になるようだ。

高齢者の不安を解消できなければ虐待や無理心中につながる
実際「死んでくれ、死ねー」の現場にも出くわしている

私が介入した虐待と呼ばれる夫は今の所100%穏やかになったと思うのだが
「あの人は外面がいいから看護婦さんにはわからない」と言われたり

虐待と呼ばれている夫たちだけど
夫の優しさ、律儀さ、一生懸命と感じるのは私だけだろうか
私が騙されているのだろうか
私の考えが甘いのだろうか
私は夫も傷つけたくない
だから

訪問する時は処置だけをするのでは無く
処置を通して家族の心のケアもしていかなければ
これからの老々介護の家では
虐待と呼ばれる人は,不安で
どんどん増えると思う。







一晩で

2015-02-11 20:43:12 | 訪問看護
動けない車

2月10日の朝


車が埋まっている。出勤した車も駐車できない駐車場
笑うしか出来ないね。

どうにか掘り出した車で
訪問看護師が1台2台と出ていく。

昨日、息子に「レセプト出してきて」と頼んで良かった。
いつでもなく息子も良い返事で協力してくれてよかったと
除雪しながら思っていた。今日持って行くつもりでいたらアウトだった。

チョット時間があるのは私だけ。遅く来る職員の駐車スペースと
訪問車掘り出さなくちゃ・・・
雪は降っている。体中雪だらけ・・・
除雪、除雪、除雪しなくちゃ・・・

そんな時
今日から始まる予定の人の家族から「様態がおかしい」と電話がある。
駆けつけると亡くなっている。
いくら家で死にたいからと言って
訪問予定日に、しかも、この雪の日に死ななくても良いではないかぁぁぁと思ったが

家族さんからは「穏やかな死に顔で」と
何もしないのに感謝された。
その後、昼食もソコソコに次の訪問に走るのだが
スケジュールは遅れ遅れ・・・・
「雪が多いので」とお一人キャンセルの電話を頂き、お言葉に甘えた。

まあ今日1日色んな事があった。
そして最後は泊まりだが
今日は皆とっても静かで私も少し眠らせてもらった。
本当に利用者さんにも職員にも恵まれている。ありがたい。


もう死んでもいい歳だ

2015-02-09 22:05:28 | 訪問看護
施設にはいきたくない

神経難病、一人暮らし
だけど別居の家族がいる。一人には出来ないと言う
施設を探しておられたが
難病は中々難しい。私の所はOKだが料金的に困難と


半月ほど前からよく転倒するようになった。
でも訪問看護を増やす依頼は無い。
私は行きたいがやはり料金がかかるので
勝手に行くわけにはいかず連絡を待った。

「神経難病では無く認知症です」と連絡が入った。
幻覚、妄想がある
何を言っているのか全く分からない
動けない
レビン小体型認知症と言われたとの事

私は全く見ていないが話を聞いて
脱水によるものと判断した。
これ以上待てない。
訪問しても良いかと私の見解を家族に話し
家族に訪問を要請するように話した。

開業の医師に連絡し注射の指示をもらった。
金曜の夕方から輸液開始した。

勤務は17時半までだが・・・
土日、別料金が発生するのだが・・・
でも緊急に訪問の必要がある。

その輸液ですっかり良くなった
たった1本で
本人が家にいたいと言えるようになった。
「死んでも良い年や」と

毎日1週間ほど輸液した。
全く通常に戻った。

ディの日は時間外の訪問で輸液をしている。

「すごいね」と言われた。
「すごいね」というのは
もうけていると思われているのだろうと思う。
一度、もうけ主義と言われているから
私だって時間外まで訪問したくない。残務仕事も沢山あるから
本当は行きたくないけど
そうしなければ利用者さんの具合が悪くなるのがわかっているから
必要だと思う間は周りの人になんて言われようと行くのだけど
訪問看護はやっぱり立場が弱い(内心辛い)

もう少し早く対処すれば
こんな金曜日の夜から始めなくても良いのに
でも私は看護師
医師の指示とケアマネと家族の依頼が無ければ介入出来ない

利用者に訪問(注射)は「もう良いかね」と聞いた。
家族も本人も来てもらえるなら来てほしいと言う。
でも時間外を希望される。
いくら希望されても緊急性の無い時間外は・・・・無理ですよ

この家族は今回の事でやっと、信頼してくれたようだ。
「認知者なんてありませんわ。私よりしっかりしていますもん」と
元に戻った利用者と笑顔で話しておられた。

神経難病は他の人より料金が少ないが
やはり料金がかかる事には間違いない。

訪問看護は高いとか、もうけ主義とか言われるので
私は必要と思っても中々言えない。
私は儲け主義(人に信られる者)にはなりたいと思っている。




半年過ぎました

2015-02-02 21:44:45 | 訪問看護
神経難病、介護5の利用者様

退院時
ケアマネが「3ヶ月が目標、家で3ヶ月過ごせれば良いの」と言った。

私たちが訪問させて頂いて3ヶ月に1~2日足らずに入院となった。
退院時
本人は家を希望したが
それまでも頻繁に入院していたらしく
介護する回りの者は「在宅は無理」と施設を希望。
しかし
施設も中々受け入れがたい病状の人だと思う

私は新参者だから言える立場じゃないが
本人の希望をかなえたいと
「家に帰るの、待っているよ」と入院先で声をかけた。

そして結構な反対の中で自宅退院。

またまた3ヶ月1~2日足らずに入院した。
やっぱり退院前のカンファレンスで
本人は家を希望
回りの者は「在宅は無理」と施設を希望。
私はやっぱり家に帰ろうと本人を応援
同じ事が繰り返された

家に帰って来た。
そして今、半年過ぎた。

たまに熱が出る。

お正月「もうこれまでか。残念」と思った反面
病院に入院になれば私は休める。
半年になるので、お正月は病院で栄養も取れて良いかと思った
しかし
落ち着いてしまった。

嚥下困難で胃婁は嫌で
たいした栄養も取れていないのに、この半年で肉がついてきた。
入院しないと体力がつくのか。
入院ってそんなにストレスなんだと思った。

1月31日も熱が出たと介護さんから連絡あり訪問した
AmPmとも「熱がある、吐いている」と連絡あり
絶対、入院だろうと病院へ連絡して訪問。
私が訪問すると熱も無く笑顔でケロっとしていた。

この事例でも思ったのは
家族がいたら家には、いれないだろう
帰れないだろうと言う事

時には家族がいない方が
本人の好きに生きれる事もある。