そのとき電話に出た支所の方は、「佐久市の職員がそばにいるのであまり大きな声ではいえないが、佐久市に合併した臼田としては、臼田町という町名や臼田町議会という名前があっては、佐久市になったいま差し障りがある、それで覆った」と小さな声で答えたといいます。
ウーン、これってなんなのだろう・・・。おもんばかり?誰に対して?なんのための?
しばらくして『信濃毎日新聞』が、このことを記事にしました。記事によれば、臼田の支所長は「せっかく新市になったため、一体になり、なじんでほしかった。他意はない」と答え、布を取り除いたというのです。
むしろ逆ではないか、と私は思います。私たちのまちにいかなる核兵器の配備も飛来も通過もさせてはならない、とする臼田町議会の決議は、臼田町町民の決意を議会も同意した歴史的なものであるはずです。せっかく新市になったために、一体になり、なじんでほしかった、というのであれば、町民と議会が一体となって決議したそのことを、佐久市になじんでもらわなければ臼田の誇りが泣く、というものです。
「他意はない」のではなく、一体になり、なじんでほしかった、という「他意」があったからこそ、このような行為に出たわけでしょう?
このような「おもんばかり」行政はやめてほしいものです。行政は、いうまでもありませんが、市民に向き合うものでなければなりません。
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