《以下引用》
「小泉純一郎首相は四日午前、官邸で年頭の記者会見を行い、自身の靖国神社参拝を批判している中国、韓国について「外国政府が心の問題に介入して外交問題にする姿勢は理解できない。一つの問題で他の交渉を閉ざすべきではない」と述べ、靖国問題を理由に首脳会談を拒否している両国の外交姿勢を改めて非難した。首相は「一国の首相、国民として戦没者に感謝と敬意をささげ、哀悼の念をもって靖国に参拝している」と述べるとともに「日本人からおかしいとか、いけないという批判が(出ることは)いまだに理解できない」と強調した(1月5日『産経新聞』)《引用ここまで》
懲りない人だな、とつくづく思う。
いうまでもないことだが、個人が靖国神社を参拝するというのは自由である。問題は首相だからである。なのに、なぜ中国や韓国が一国の責任者である首相の「靖国参拝」をこれほどまでに嫌うのか、についての洞察力がないのか、それが私には不思議でならない。
小泉首相が初めて靖国参拝をした2001年8月、私はある人物の遺族を探し求めて韓国を歩いた。
以下5回にわたってお伝えするルポルタージュは、日本の戦争に特攻隊として志願し、命を捨てたある朝鮮人(当時)とその関係者の物語である。それは、小泉首相の靖国参拝をきっかけに、この問題に深く関わらざるを得なかった韓国人の「靖国神社」である。
題して『許嫁(いいなづけ)』の第一回目。
鹿児島県知覧町。
2001年2月、首相待望論が高まっていた時期、小泉純一郎議員は知覧にある特攻平和会館を訪れた。案内の館長が説明にあたった。
「この少年たちの遺書がちゃんとここにあります。ご両親様、と10行ぐらい書いてあります。いちばん最後をご覧下さい。あらかじめ、散るべきときの見えながら、匂う大和の若桜かな。18歳の少年がそんな歌を残しています」
18歳が詠んだという辞世の句を館長が口にすると、小泉議員は「18歳?18歳でこんな字を書けるかね?」と驚いて見せた。そしておもむろに白いハンカチを取り出すと、鼻を拭き目頭を何度も押さえた、という。
その知覧を訪ねた。
小泉首相が涙した、という知覧の特攻平和会館の一角にはおびただしい人数のモノクローム写真が飾られていた。20代前後の若者たち436人が飛行服に身を包んだ姿だが、その後まもなく死を覚悟したことを想像すると、なんともやりきれない気持ちが襲ってくる。国のために、と思うか、それとも間違った戦争に駆り出されて、と思うかはそれぞれだが、私はこのなかのひとりの人物に吸い寄せられた。
光山文博少尉。本名、卓庚鉉。高倉健、田中祐子主演の映画『ホタル』にも登場した朝鮮人特攻隊のひとりだった。1945年5月、光山少尉は特攻隊として沖縄に出立する前の晩、知覧の富屋旅館で故郷の民謡「アリラン」を歌った、と旅館の女主人鳥浜トメさんの次女礼子さんが記憶している。
5月10日の夜、
「小母ちゃん、いよいよ明日出撃なんだ」
とボソリと言った。
「長い間いろいろありがとう。小母ちゃんのようないい人は見たことがないよ。おれ、ここにいると朝鮮人っていうことを忘れそうになるんだ。でも、おれは朝鮮人なんだ。長い間、ほんとに親身になって世話してもらってありがとう。実の親も及ばないほどだった」
(中略)
「小母ちゃん、今夜は歌いたいんだ。歌ってもいいかい」
「いいわよ、どうぞ、どうぞ」
「じゃ、おれの国の歌を歌うからな」
光山は離れの一間の床柱を背にしてあぐらをかいて座ると、かぶっていた戦闘帽のひさしをぐいと下げた。光山の眼がそのひさしの下に隠れた。トメとふたりの娘は彼のすぐ横に正座した。
しばらく瞑想していた光山は、突然びっくりするような大きな声で歌い出した。
アーリラン、アーリラン、アーラーリヨ
アーリラン峠を越えていく
わたしを捨てて行くきみは
一里もいけず 足いたむ(注)
(注)赤羽礼子 石井宏著『ホタル帰る』(草思社刊)133~134ページ。
そして翌日朝、知覧飛行場から沖縄に向けて飛び立った光山少尉が乗った一式戦闘機隼はふたたび戻ることはなかった。(第二回に続く)
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