Re-Set by yoshioka ko

■再考・靖国参拝 『汚名』(第四回)

 前日の雪の影響で、成田発サンフランシスコ行きの全日空機は4時間遅れの夜9時に出発。サンフランシスコ到着も12時半と3時間も遅れた。まあ、日本もサンフランシスコも日曜日とあって仕事に差し支えたわけではないが、それにしても成田空港の雪対策はお粗末すぎないか。前日の「名残」が今日まで影響し、空港ロビーはヒト、ヒト、ヒト・・・。
 
 「職員もお客さんもみんながイライラしていましたね」とは税関職員の声だが、正確な状況を、空港職員も管制塔も航空会社社員も誰もつかんでいなかったのではないか、とすら思いたくなるような感じだった。

 ともあれ、明日から取材に入る。今回はちょっと長めのアメリカ滞在になる。この間にブッシュ大統領の一般教書演説も行われる予定で、中間選挙を前に何を訴えるのか、興味のあるところでもある。イラク戦争と、新たにイラン問題になるのだろうか。

 ブッシュ大統領にとって、これまでの懸案がイラクだとすれば、わが国の首相の懸案は、やはり「靖国」だろうか。どちらも国外からは不人気極まりないが、国内では一定の評価も得ている。

 ということで、再考・靖国参拝。『汚名』の第四回目。なぜ死亡通知もないままに、靖国神社では〈合祀済〉としてしまったのか、その謎に迫ります。

  厚生労働省の社会・援護局の倉庫には、古びた背表紙に包まれた膨大な資料が積まれていた。1945年暮れ、旧陸・海軍が解体されたあと、厚生省(当時)が引き継いだ〈留守名簿〉など旧軍関係が管理した名簿である。
 旧仮名遣い、墨文字、マル秘のはんこう、満州や朝鮮、内地、それに朝鮮人徴用、徴兵といった言葉、日本帝国陸軍、日本帝国海軍などと印字された文書・・・。

 ここは時間が止まり、歴史が静止した場所である。もっといえば、もし1冊1冊の名簿をじっくりとめくっていったら、日本と朝鮮半島との関係がいかなるものであったかが、客観的に想像できる場所である。
 
 〈留守名簿〉というのは戦時中、日本人兵士が出征するときに書き残した陸軍の記録である。のべでおよそ905万人分が保管されているが、このなかには朝鮮人軍人・軍属に関する記録も含まれている。戦後、これらの資料を一括して引き継いだ厚生省は、朝鮮人軍人・軍属に関してはその生死はおろか、この名簿の存在すら明らかにしてこなかった。

 だが、ようやくというべきか、厚生省はこれらの資料の整理を独自に進めていたさなかの1971年、日本が韓国との国交を回復(1965年)した6年後、〈留守名簿〉のなかから初めて朝鮮人死亡者名簿の一部を作成して韓国政府に渡し、さらに1994年にはまとめて114冊分の朝鮮人留守名簿のコピーを提供した。

 戦後半世紀も経った対応から見ても、厚生省が見せた姿勢は決して誠意のあるものではなかったが、韓国政府もまた旧日本軍の軍人・軍属として死亡した韓国人に対して、誠意を持って対応したわけではなかった。
 やっと手がかりがつかめるかも知れないと、遺族たちが留守名簿を閲覧することができたのは、さらにそれから2年経った1996年のことだった。

 李熙子さんらはこの114冊の留守名簿を丹念にめくりながら、家族ひとりひとりの消息を調べたのだった。
 
 私の前で、厚生労働省援護局の植村尚志調査資料室長は困惑していた。
 明らかに戦後生まれである彼が、これら旧軍関係の資料、ことに遺族も知らないうちに肉親や兄弟が靖国神社に合祀済みとされてきた事情などに精通しているとはとうてい思えなかったからだ。
 
 いったい誰が〈合祀済〉の印を押したんでしょう?
 「当時の厚生省だと思います。戦後この方、靖国神社からの依頼によっていろいろな調査をしていくなかで、これだけ膨大な資料ですから、まず(靖国神社側への)回答がすでに済んでいるものと済んでいないものを分けなければいけない。回答が済んでいるものについては、逐一〈合祀済〉の印を押して重複を避けたと思うんです。効率よくやるためですかね」
 
 厚生省は毎年毎年靖国神社側の求めに応じて戦没者の名前などを提出してきた、という。その際、厚生省側は重複しないために靖国神社側に提出した名簿にその都度〈合祀済〉の印を押した、というのだ。
 
 靖国神社側の求めに応じてしたのですか
 「そう、靖国神社側からこういった人の資料が欲しいと照会がきますね。そうすると厚生省は〈留守名簿〉のなかから照会のあった人物のデータを探し出して応えてきたわけです。合祀済みというのは厚生省的にいえば、靖国神社側の照会にすでに回答した人という意味で、名簿上の重複を避けるために印を押したということです」
 
 ということは、国の機関が重複を避けるという自らの業務上の理由だけで、〈合祀済〉の印を押したことによって、朝鮮人戦没者も靖国神社に事実上祀られてしまったことになる。これは国の過失と見るべきなのか、それとも意志だったのか。そこは大きな疑問でもあった。(第五回に続く)





 

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