人間は、生きている間にどんなに嘘ついたり、傷つけたりしても構わないんだなと思う。どんなに私利私欲に走っても、それがたとえ親や兄弟を裏切るような行為であったとしても構わない。周囲の人が全員間違っていると判断しても、本人は決まって自分が正しいと思っており、誰もその本人の考えを変えることはできない。
麻薬をやっている人は、社会が自分を正当に扱っていないから自分はこうなったのだとか、子供のころのトラウマが原因だとか言い逃れる。一方、人を殺した人もこの人は殺されてしかるべき人だとか屁理屈を言う。
どんな事象に対しても人は自分を犠牲者に見立て、何に対してでも自分の事を正当化できるのだ。本当は人を殺してはいけないことや、麻薬をやってはいけないことに、理由なんていらないのに。
人間はいつか死ぬ。この世に生まれた瞬間から、死は既に運命付けられている。その人の生い立ち、職業、収入、地位によらず、死は誰にも平等に訪れる。
死んじゃえば、どんな悪行をこの世で重ねていても、清算されてしまう。もちろん、悪いことばかりした人は、残された人の記憶に悪いイメージを植えつけて死ぬわけだが、その記憶すらも時間とともに薄れていく。
死んだら終わり。人生は生きている間にどれだけ幸せに暮らせるかを競うゲームみたいなもの。有名人なら、新聞などに名前が載り、山田太郎(享年29歳、1980-2009)などと表記され、過去の人となる。織田信長、リンカーン、福沢諭吉と同じく歴史上の人物と同じになる。
死人に口なし。だから、みんな死んだ後は、その人の悪口は言わないのが礼儀だ。つまり、生きている間に何をやったって構わないのだ。この世は弱肉強食の世界。ぽかーんとしてたら騙される。騙したほうが悪いのではない。騙されたほうが悪い。
宗教では、悪行を重ねた人がこの世ではその報いを受けなくても、来世でそれを清算する。だから、神はすべての人に対して平等であるという理屈である。そして、人間は現世で報われなくても、来世のことを考えて善行をするよう努めるべきと説く。
でも、実際に悪行を重ねた人が来世でその報いを受けているかどうかを僕らは確かめることは残念ながらできない。実際にその様を見ることができれば、人間はもう少し理性を持って行動できると思うが。
生きている間が勝負なのだから、やりたいこと、好きなことを全部やればいい。しかも、人生のそれぞれの時期においてできること、できないことがあるので、然るべきことを然るべき時期にすればいい。
実際の所、誰が何しようが他人はあまり関心をもたない。自分の事しか考えていないから。人を傷つけたって、嘘をついたって、裏切ったって、その人はそのくらいで裁かれたりしない。所詮、個人レベルの問題である。そういう人は他人の気持ちも考えずに、ノウノウと生きていくだけ。逆に言えば、自分は常に正しいと強い意志を持って生きていかなければ、生きていけない世界なのである。
自分の欲望に正直に生きても、別に構わないのだ。どんなに正しく生きようと思っても、ある程度の限界はある。だったら、人に迷惑さえかけなければ、何をやったっていい。人間生きて100年。死後50年後に誰が僕を思い出してくれるだろうか?誰も思い出さないだろう。人生そんなもんである。
麻薬をやっている人は、社会が自分を正当に扱っていないから自分はこうなったのだとか、子供のころのトラウマが原因だとか言い逃れる。一方、人を殺した人もこの人は殺されてしかるべき人だとか屁理屈を言う。
どんな事象に対しても人は自分を犠牲者に見立て、何に対してでも自分の事を正当化できるのだ。本当は人を殺してはいけないことや、麻薬をやってはいけないことに、理由なんていらないのに。
人間はいつか死ぬ。この世に生まれた瞬間から、死は既に運命付けられている。その人の生い立ち、職業、収入、地位によらず、死は誰にも平等に訪れる。
死んじゃえば、どんな悪行をこの世で重ねていても、清算されてしまう。もちろん、悪いことばかりした人は、残された人の記憶に悪いイメージを植えつけて死ぬわけだが、その記憶すらも時間とともに薄れていく。
死んだら終わり。人生は生きている間にどれだけ幸せに暮らせるかを競うゲームみたいなもの。有名人なら、新聞などに名前が載り、山田太郎(享年29歳、1980-2009)などと表記され、過去の人となる。織田信長、リンカーン、福沢諭吉と同じく歴史上の人物と同じになる。
死人に口なし。だから、みんな死んだ後は、その人の悪口は言わないのが礼儀だ。つまり、生きている間に何をやったって構わないのだ。この世は弱肉強食の世界。ぽかーんとしてたら騙される。騙したほうが悪いのではない。騙されたほうが悪い。
宗教では、悪行を重ねた人がこの世ではその報いを受けなくても、来世でそれを清算する。だから、神はすべての人に対して平等であるという理屈である。そして、人間は現世で報われなくても、来世のことを考えて善行をするよう努めるべきと説く。
でも、実際に悪行を重ねた人が来世でその報いを受けているかどうかを僕らは確かめることは残念ながらできない。実際にその様を見ることができれば、人間はもう少し理性を持って行動できると思うが。
生きている間が勝負なのだから、やりたいこと、好きなことを全部やればいい。しかも、人生のそれぞれの時期においてできること、できないことがあるので、然るべきことを然るべき時期にすればいい。
実際の所、誰が何しようが他人はあまり関心をもたない。自分の事しか考えていないから。人を傷つけたって、嘘をついたって、裏切ったって、その人はそのくらいで裁かれたりしない。所詮、個人レベルの問題である。そういう人は他人の気持ちも考えずに、ノウノウと生きていくだけ。逆に言えば、自分は常に正しいと強い意志を持って生きていかなければ、生きていけない世界なのである。
自分の欲望に正直に生きても、別に構わないのだ。どんなに正しく生きようと思っても、ある程度の限界はある。だったら、人に迷惑さえかけなければ、何をやったっていい。人間生きて100年。死後50年後に誰が僕を思い出してくれるだろうか?誰も思い出さないだろう。人生そんなもんである。
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