日本語教師ブラジル奮闘記

ブラジル生活裏話

ブラジルでは足の組み方に注意

2005年04月29日 22時30分37秒 | ブラジル事情
 昨日の日本語の授業は「オカマ」の話で盛り上がった。

 僕が授業中に足を組んで座っているのを、日系人女性の生徒がそのことをオカマの仕草と指摘したことから始まったのである。彼女は自分の元彼氏の日本人も足を組んでいたと言って、日本人には普通であることは分かっていると弁解していたが、他の生徒は弁解すれば弁解するほど僕を傷つけていることになると大笑いしていた。

 ブラジルでは座っているとき、男が足を組みたい場合、内側のくるぶしを上方に向けて、もう片方の膝の上に載せて足を組むのが、正しい男の足の組み方だとされている。膝の所で組む組み方は女性のものと見なされ、男はオカマの疑いをかけられるわけである。

 実は足の組み方に対する注意は、ブラジルに着いた当初の7年前からブラジル人に指摘されてきた。分かってはいるが、膝のところで組んだほうが組みやすいために、無意識にしてしまう。

はっきり言って日本の男性で椅子に座っているときの膝の組み方にこれほど注意を払っている人はいないであろう。実際問題、日本にいる男性はブラジルでは女性の足の組み方とされる組み方を電車や会社、バスの中で普通にしている。そして、それを誰も女性的と見る人はいない。もちろん、この足の組み方に手が妙な仕草で組み合わされると、それこそ日本人の間でさえ、彼は「オカマ」なんじゃないかという疑惑を引き起こすことは避けられない。

ブラジルには「小話」なる短い笑い話が山ほどある。そのテーマの多くが、オカマ、人種差別、娼婦、ポルトガル人に関してである。その中でもオカマの話は特に多い。つまり、ブラジル人は自尊心がものすごく高く、自分が「男」であり、決して「オカマ」ではないことを殊更強調するのである。なぜなら、「オカマ」だと言われることが、ブラジル人男性にとって最大の屈辱であるからである。

日本人はその辺にはあんまり関心がないと思う。どちらかというと、「アニメオタク」「ゲームオタク」「変態」であるかという方により関心があり、そこに最大の屈辱を感じるように思う。この辺が文化による価値観の違いかと思う。

人間誰もが自分は「普通」の人でいたいと思っている。でも、実は全く普通の人間なんていないし、普通であることは多数派であるわけで、人と全く変わりばえがしないことである。つまり、他の人からは何の魅力も感じられない人と言う事になる。敢えて普通でない人になる必要はないが、自分を曲げることはないというのが僕の意見。

ブラジルを訪れる日本人の皆さん、もしオカマと思われたくなかったら、足の組み方には注意してください。まあ、自分を変える必要はないわけだが。

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