原爆が投下された日 忘れることはできません爆心地から北に15キロ離れた所に
私は住んでいました。
昼過ぎから原爆にあった人達が次々と近くのお寺や近所の家に
車や徒歩で運ばれてきました。
母たちはそれぞれ家からお布団などを持って救助に行きました。
小さかった私は母について行ったのをおぼえています。
お寺に行くたびに黒こげになった人が次々亡くなっていました。
どこのどなたか分からない人も沢山いました。
火葬場は亡くなった人で一杯です
町の人達の手で近くの河原で荼毘に付されました。
町には黒い煙が立ち込めていました。
その人たちが72年経ってやっと安らかな所に納められました。
荼毘にふされた河原を望む小高い丘の上に。
寺山公園を作ろうの会の人達や可部ライオンズクラブの方たち色々な人の
お力で立派な慰霊碑がこのたび建てられました。
当時 荼毘にふされた方の数 148個の石が碑の下に納められたそうです。
此の事を知り涙がこみ上げてきました。
当時の事がありありと浮かんできます。
どうぞ安らかにとお祈りするのみです。