暑い暑い1日でした。
今夜も熱帯夜のようです。
服飾関係の仕事をしている子供が持ち帰った布地が沢山あります。
作りかけのままになっているのも、たくさんあるようです。
作りかけの物を私ように作りましたが
少し派手で手を通すかどうかわかりません。
今住んでいる団地のガス本官入れ替え工事が始まった。
この団地が出来て、かれこれ40年古くなった道路上のガス管の取替え
時期がきたとか。
2日前から我が家の前の工事が始まりました。
自分の車を出すのも、その都度、工事車の移動をしていただきます。
気の毒に思っていますが、お願いをする前にすぐに飛んできて車の移動をしてくださいます。
そして「いってらっしゃい!」と声がかかります。やさしくて感じがよい人達ばかりです。
以前建築会社の大工さんから聞いた話ですが入社の時に仕事場の近所とはトラブルを起こさないと 一筆いれた と話しておられたのを思い出しました。
色々気を使っておられるのですね。
工事は9月下旬まで続きそうです。
おご苦労様です。
1943年(昭和18年)10月8日1時39分 私の父の戦死した日だ。
私はまだ幼く父の顔さえ覚えてはいないが、
なぜか 大日丸 は頭の中にはっきりと残っていた。
父が戦地に向かった時に乗っていた、船の名前である。
フィリピンに渡る時、バシー海峡にて撃沈された。
ずっと気になっていて詳しいことが知りたいと思いながら、今までそのままになっていた。
インターネットで調べると、なんと簡単ではあるが出てきた。
アメリカ海軍の潜水艦 ガーナード により、ルソン島ボヘヤドール岬西北西120キロ
地点で撃沈され、乗船部隊2274名中2025が死亡した事が分かった。
戦没者遺児による慰霊友好親善事業への参加募集を知った。
亡き父の眠る地で心ゆくまで慰霊追悼を行い現地の方々との友好親善を深めるためである。
前から父の亡くなったバシー海峡を一度訪れてみたいと思っている。
一週間ばかり前亡くなった兄は今父とあの世で会っているであろうか?
この梅干しを見ていると色々なことが想い出される。
1週間前に77才を迎えたばかりであの世に旅だった兄。
外国に住む私の長男が帰る度に少しずつ持ち帰っていて
あとわずかになっていた梅干。
何年か前、母の法事で兄の家に行った時、兄が私の持たせてくれた。
「すこしでいいよ」と、多くは持ち帰らなかった、
又次回に行った時、貰って帰るつもりだったから。
でももう、それも出来ない,漬けてくれる兄がい居なくなったのだから.
若い時から漬けもの名人でいつも、たくわん・白菜・らっきょ、などを大きな樽で届けてくれていた。
べったらずけもおいしかったよ!
お兄さんありがとう!