パリまでの道のりは遠かった。
1984年1月
ブリュッセルで二泊してから、ナミュールへ向かった。
パリへ行く途中だし、人気の高いユースホステルがあるとの情報で、
少しのんびりと旅の情緒を味わいたい気分でした。
私はカナダの旅から、スーキー用のキャスタ-付きのバッグを利用していました。
駅のホームでバッグを引きながら歩いていると、
隣を歩いていたおじさんが、「ヘルプしよう」と声をかけて来ました。
私は大丈夫と言いながら、おじさんと会話しながら歩いていると、
ジプシーのような子どもが数人来て、紙を差し出しながら、私に何かをねだって来た。
おじさんは、「気にしないで、かまう事ない、ほっときな」と言います。
私は何も無いよという感じで、相手にしなかった。
子ども達が離れると、おじさんも急ぐからと、去って行来ました。
私は階段を上るので、手伝ってもらおうとしたのに残念と思いながら、一人で昇り降りして駅を出た。
ユースまではちょっと距離があったが、のんびりと歩いて行きました。
ユースホステルに着いて受付で、ショルダーバッグの中に財布が無い事に気づいた。
ちょっとパニックになったけれど、すぐに駅の子ども達と気づく。
部屋に荷物を置き、ユースを飛び出し、私の慌てた様子に車に乗せてくれた人がいて駅に行った。
駅につくと係り員に案内され、その部屋にジプシーの女の子が二人いた。
常習のようで取調べされているようでした。
私が事情を話すと、別室で身体検査をしたが、財布は無く彼女達も知らないと言う。
ホームで話かけて来たおじさんがボスで、子ども達はやらされていたのだと理解しました。
駅員に被害届けを出すか?と聞かれたが、旅の途中だし、もういいと諦めた。
財布には、パリまでの交通費(現金)とナミュールでの滞在費(チェック)が入っていました。
被害金額は少なかったけれど、とてもショックでした。
その夜はユースのスペシャルディナーを頂いたのに、気分は沈んでいた。
そして、フィンランドからヒッチハイクして来た男女のペアと出会い、私もヒッチしようとひらめいた。
北海道でのヒッチの経験もあるし、そうだヒッチしようと思い、翌日にナミュールを出る事にした。
今思うと、ナミュールはとても美しい街だし、数日滞在してから、ヒッチすれば良かったですね。
せっかく行ったのにと残念な思いがするけれど、嫌な気分を変えたいと必死でした。
パリのルーブル美術館の周辺にもジプシーの子ども達がいて、
紙を差し出して来たけれど、同じ失敗はしませんでした。
ナミュール宿泊の翌日は、霧雨のような天気、何故かバスストップの前でヒッチを試みる。
すると数台目で、一台の車が止まり、おばさんが乗せてくれた。
スリにあって、パリまでヒッチしようと思うと言う。
彼女は私を自宅に連れて行き、一杯のミルクコーヒーを差し出した。
「アウトバーン(高速道路)まで連れて行くから、トラックをヒッチするといい」と教えてくれた。
そして紙幣を一枚、私に差し出した、多分500円位だったと思う。
全部のお金をすられたのでは無いからと、断ったが、
彼女はフードが買えるからと、、、私は好意を受け涙が出そうになった。
ドイツの高速道路は無料で、自由に乗り降り出来たので、パリ方向の車線で降り彼女とハグして別れた。
トラックはすぐに来て、最初の一台で止まってくれたと思います。
「ドーバー海峡のカレーに行くから、そこでパリ行きのトラックを見つけるといい、
シャワーもあるし、24時間過ごせるから、、、」とドライバーに言われ、
頭の中に地図が浮かんでこなかったけれど、遠回りしてもその方がいいと思いました。
カレーに着くと、忙しく彼は去って行きました。
私はイギリスからのフェリーが着くと、パリと書いた紙を持って、出口付近に立った。
すると、フランス人と思われるドライバーが「パリまでか?」と言って乗せてくれました。
私は小柄なので、子供のように思われたようなので、既に25歳でしたが、19歳と言いました。
パリにはバンクーバーで出合った知人いて、手紙で連絡していました。
彼女の住所を見せて、ここへ行きたいと告げると、彼は会社が近いから送ると言う。
フランス人なので、英語があまり通じなかったけれど、安心感がありました。
パリまでは遠くすっかり暗くなり、外灯も煌々とはしていないので、本当に暗かった。
あそこがパリだと言われ、遠くに見えたパリの街は光り輝いていて、
「翼よ!あれが巴里の灯だ」のフレーズが浮かびました。
映画は見ていないけれど、そんな心境でフランスは農業国なんだと思いました。
彼は仕事をすませると、私の知人宅に電話をして近くの道で待ち合わせ、私は無事にパリに着来ました。
彼女はいつ来るかと思っていたけれど、まさかヒッチで来るとはと驚いていました。
長い一日でした。
スリに会わなければ、ヒッチハイクの体験もありませんでした。
そして、異国の見知らぬ人達の温かさに触れる事もなかったと思います。
スリという経験も貴重なものになり、与えられた縁に感謝しました。
それぞれの人に、お礼はできませんが、困っている外人には私なりにヘルプしたいと、今でも思います。
お金に困ると、人を頼るしかありません。
それは嫌な思いもあるけれど、親切の連鎖のような場合もあります。
お金ばかりを頼ると、人との関係が薄れてしまう、そんな気もします。
ドーバー海峡もトンネルで繋がり、コンタクトもメールで簡単になり、今の時代の旅は変わりましたね。
つづく