雪姫鳥の独り語

雪姫鳥の山暮らし、日常に感じる事。
雪姫鳥のニットの紹介、旅した国の回想。
食べ物や子育て、雪姫鳥のエコライフ。

1982年アラスカ・ユーコンの旅 ドーソンシティ

2018-07-27 13:32:09 | 

カナダ、ユーコン準州の都市、人口2000人のドーソンシティ。

 

昔はゴールドラッシュで栄えた、それ程大きくはない北の街。

道路が舗装されていない、コンクリートではひび割れてしまうほど、冬は寒いそうです。

板張りで造られた歩道もあり、建物は木造建築ばかり、西部劇の中に入った気分。

最初は市役所のような所へ行き、入国の手続きは出来ないから、飛行場へ行くように言われました。

交通手段を問うと、ヒッチして行くようにと、紙に‘AIRPORT’と大きく書いて渡してくれました。

これを見せれば、すぐ連れていってくれると、言われたようにすると、

すぐに車が止まり、飛行場へ行くことができ、入国スタンプも無事に押してもらえました。

帰りも当然、街中までとヒッチしました。

少しスリリングでしたが、日本ではあり得ませんね。


街は翌日のパレードの準備でそわそわしていた。

夏だけ賑わう、メインイベントのようです。

ホワイトホースへのバスは週に2便しかなく、パレードを見ると、逗留も長くなります。

宿泊代も大変なので、何とか安く泊まれる場所がないかと、ウロウロしていたら、

‘ジャパニーズか’と声をかけられた、確かに日本人は珍しい。

彼女はモーテルの女主人で、‘何故ここに来たか?と尋ねられました。

アラスカからの帰りで、昔ここのカジノで音楽していた知人が、ドーソンに寄ることを勧められたと。

偶然にも、彼女は知人を知っていました。

宿泊の事を話すと、彼女は自分の経営するモーテルの洗濯室を提供してくれた。

夏とはいえ、夜は少し肌寒いが、洗濯室には乾燥機もあり、何となく暖かい。

室内のテーブルの上に寝袋で寝るとちょうど良かった。

そして、空室の鍵を貸してくれ、シャワーも使っていいとの事。

帰りはヒッチは危ないから、誰かホワイトホースへ戻る人を紹介するから、心配ないという。

過剰な親切はなく、とにかく有難く、さっそく宿泊していたモーテルをキャンセルして、移動しました。

元気にニコニコしていたら、ポラロイドで撮撮している人が無料だと言って、一枚撮ってくれた。

とても23歳には見えなく、高校生くらいに思われていたのでしょう。

日も長いので、一日たっぷり動けました。

そして、いよいよパレードです。

 続く


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