
今年も彼岸花が咲き出しました。
先祖を思うお彼岸、私の生まれ育った家族は誰も居ない。
義父が死体遺棄の容疑で逮捕された、埼玉の殺人事件。
義父が殺したかどうかははっきりしてないが、
本当の親で無い、、、、と言われてかっとなったと報道されている。
なさぬ仲というのは、昔は世間の噂の種だったと感じている。
私は実母と養父母、祖父母、兄という変な家庭で育った。
養父は父の兄だけれど、実際は従兄弟で祖父の兄の子。
祖父は兄が亡くなり、兄嫁と結婚し、その嫁も亡くなり、
縁続きの家から祖母を嫁にし、父が生まれた。
養母も縁続きなので、血の繋がりはあり、
祖父母も養父母も、〇〇おじいちゃん、〇〇おばあちゃんと呼んでいた。
父親のいない感覚で、大人の陰な部分ばかり見て育った。
世間的には変な家族で、養子縁組されたのは10歳のころ、
戸籍上、母はただの同居人で、その母も私が18歳の時に離縁した。
幸せな家庭では無かったけれど、そんなに不幸でも無かったが、
世間の目や人の噂が耳に入り、田舎が大嫌いで育った。
今思うと、事件スレスレの事もあり、大事に至らなく感謝している。
個人主義の教育がされ、時代の変化もあり、
健全な家庭も減り、なさぬ仲も多いと思う。
親子でも殺しあったり、他人同士でも仲良く暮らせる。
多様的な社会構造で、〇〇だから幸せとか、
〇〇だから不幸とか、他人には分からない家庭内の事情もある。
私は人がどう思うかなんて、気にしないようになった。
比べれば不幸になるし、他人には理解されないと思うし、
血縁に恵まれなかったけど、他人の縁には感謝するほど恵まれた。
世の中の常識なんて、くだらないと思うことが多い。
埼玉の事件も義父とは言え、まだ32歳、何がそうさせたのだろうか?
元来、夫婦は他人だし、親子でも思考や感性の違いはあるの。
家族でも個人の集合体だし、子供にも人権はあり親のモノでは無い。
団塊や還暦世代の子供世代は、学歴重視に育っている人が多く、
人としての学びが欠如しているように思う。
社会現象のような家族内の殺人事件も、
拝金主義、学歴重視の教育で、京楽の世界が欠如していると感じる。
戦後から続いた価値観の終息のようにも思える闇の部分。
『エリートが真面目に頑張ったら、人を地獄に連れて行く』
安富歩さんの言葉だけれど、共感します。
安富さんも家族と縁が無くなったら、気が楽になったと言います。
縁あって生まれた家族でも、居心地が悪ければ、
努力して自立し、離れることを選択して欲しいと願う。