1983年に世界文化遺産に登録された、タージ・マハル。
王が王妃の死を悼んで建設した、大理石の霊廊。
バナラシの駅までは、リキシャーで行った。
身体はかなり疲れていた、こういう時はつい誰かを頼りたくなる。
ツレに切符の手配を頼み、列車の中も外も、人に溢れていた。
人の多さは中国で慣れていても、外人専用のシートではなく、インド人同様に席を確保する。
彼に荷物を見ておいてと、言われたにもかかわらず、出発前のどさくさで、小袋を盗まれてしまった。
大きなリュックには注意していたが、脇に置いた小さな布袋が、気づかない間に持って行かれた。
中には醤油と味噌が、入っていた。貴重な品だったが、仕方ない。
彼には叱られたけれど、ぼーっとしていて注意力が散漫になっていた。
一人旅なら緊張もするが、誰かいると、つい他人任せになってしまう。
盗んだ人は、何だこれと思ったろう、私にとってはお宝だったけど、、、
アーグラーの駅から、タージ・マハルの近くのホテルへどう行ったか記憶にない。
彼の後をついていったので、自分自身の意思で行動していなかった。
今思うと、思考停止状態。他人任せで点しか見えていない。
観光地なのと2泊位だから、普通の安いホテルだったと思う。
翌日はタージ・マハルの中を見学したけれど、これもあまり記憶がない。
ただ、周囲に何もなく、広々とした場所にある建造物という印象と、正面からの美しさは、確かに覚えていた。
近くの街でも、少しウロウロしたけれど、体力の低下で、気分は沈んでいた。
ツレは楽天家だけれど、私は心配性で、体調の事やこれからの事を考えると不安でたまらなかった。
病気は強くなれるチャンスと言い、彼は私に厳しかった。
哲学も思想も持っていない私は、インドで初めて死生観のような事を考えさせられた。
だいだい、私が彼の旅費を出しているのに、何で助けてくれないのか?
何でインドに来たのか?これからどうなるのだろうか?不安でそんな事ばかり考えていた。
アーグラーからジャイプールまでは、ツアーバスで行った。
路線バスよりは楽だった。ジャイプールはピンクシティと呼ばれ、街全体にピンクの建物が多い。
目的地のプシュカルは、ここからバスで、アジメールへ行きそこから、プシュカル行きに乗り換える。
このジャイプールで、私はとうとうダウンしてしまった。
続く