雪姫鳥の独り語

雪姫鳥の山暮らし、日常に感じる事。
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食べ物や子育て、雪姫鳥のエコライフ。

1987年インド紀行 vol. 3 タージ・マハル

2018-07-19 08:58:19 | 

1983年に世界文化遺産に登録された、タージ・マハル。

王が王妃の死を悼んで建設した、大理石の霊廊。


バナラシの駅までは、リキシャーで行った。

身体はかなり疲れていた、こういう時はつい誰かを頼りたくなる。

ツレに切符の手配を頼み、列車の中も外も、人に溢れていた。

人の多さは中国で慣れていても、外人専用のシートではなく、インド人同様に席を確保する。

彼に荷物を見ておいてと、言われたにもかかわらず、出発前のどさくさで、小袋を盗まれてしまった。

大きなリュックには注意していたが、脇に置いた小さな布袋が、気づかない間に持って行かれた。

中には醤油と味噌が、入っていた。貴重な品だったが、仕方ない。

彼には叱られたけれど、ぼーっとしていて注意力が散漫になっていた。

一人旅なら緊張もするが、誰かいると、つい他人任せになってしまう。

盗んだ人は、何だこれと思ったろう、私にとってはお宝だったけど、、、


アーグラーの駅から、タージ・マハルの近くのホテルへどう行ったか記憶にない。

彼の後をついていったので、自分自身の意思で行動していなかった。

今思うと、思考停止状態。他人任せで点しか見えていない。

観光地なのと2泊位だから、普通の安いホテルだったと思う。

翌日はタージ・マハルの中を見学したけれど、これもあまり記憶がない。

ただ、周囲に何もなく、広々とした場所にある建造物という印象と、正面からの美しさは、確かに覚えていた。

近くの街でも、少しウロウロしたけれど、体力の低下で、気分は沈んでいた。


ツレは楽天家だけれど、私は心配性で、体調の事やこれからの事を考えると不安でたまらなかった。

病気は強くなれるチャンスと言い、彼は私に厳しかった。

哲学も思想も持っていない私は、インドで初めて死生観のような事を考えさせられた。

だいだい、私が彼の旅費を出しているのに、何で助けてくれないのか?

何でインドに来たのか?これからどうなるのだろうか?不安でそんな事ばかり考えていた。

 

アーグラーからジャイプールまでは、ツアーバスで行った。

路線バスよりは楽だった。ジャイプールはピンクシティと呼ばれ、街全体にピンクの建物が多い。

目的地のプシュカルは、ここからバスで、アジメールへ行きそこから、プシュカル行きに乗り換える。

このジャイプールで、私はとうとうダウンしてしまった。

続く

 



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