雪姫鳥の独り語

雪姫鳥の山暮らし、日常に感じる事。
雪姫鳥のニットの紹介、旅した国の回想。
食べ物や子育て、雪姫鳥のエコライフ。

1987年インド紀行 vol. 2 バラナシ

2018-07-19 06:57:54 | 

ヒンズー教の聖地バラナシ、以前はベナレスと呼んでいました。

このガンジス川のほとりに、マニカルニカー・ガードと呼ばれる火葬場があり、

ここで焼かれるのがヒンズー教徒にとっては、輪廻から解脱する最高の喜びのようです。

貧しい者は、薪が買えないので、お金のある人と、一緒に焼かれると聞きました。

巡礼者も多く、沐浴する姿は日常にあり、その水を持って帰る人もいると言う。

焼かれた死体や灰は、そのまま、ガンジス川に流される。生と死が混沌としてる街です。


街は迷路のようで、日本語の矢印をそのまま辿り、安宿を見つけました。

屋上の個室が空いていて、日当りも良く、やっと落ち着いた。

それでも、お腹すいて、食べると、超特急のように、すぐ下す。

できるだけ刺激のない食事をと思うが、ここはインド、カレーや香辛料の無い食べ物などありえない。

しばらくすると、それが当たり前のように、食べたら用を足す感覚に慣れてきたが、体力は落ちた。

シャワーを浴びる度に、どんどん瘠せていくのが分かる。

まあ、いいかと開き直るだけ、元気になっていた。


バナラシは意外と楽しかった。

ずっとネパールにいたので、何だか都会に来たようで、人の多さも心地良かった。

相変わらず、下痢は治まらないけれど、さあ、これからどうしようと、思案していた頃、

ガンガーに移って4~5日くらいだろうか、ツレに再会した。

別れて間もないのに、朝のガンガーで彼を見つけた時、何だか懐かしかった。

それより、何より、自炊道具と味噌、醤油が欲しかった。

ネパールのカトマンズには、ナチュラルフードストアがあり、そこで味噌や醤油が買えた。

スエーデン製のケロシンストーブのコピー商品が、カトマンズで売られていて、

多分、インド製だったと思うが、重宝しました。

その後、日本でキャンプ用に購入し、

ネパールで買ったケロシンストーブは帰国するまで愛用し、1989年にネパールへ行った時、売りました。


静養するなら静かな場所がいいと、アドバイスを受け、ツレとプシュカルまで、同行することにした。

口論するのは、目に見えていたけれど、このままずっとバナラシで過ごすのも、疲れる。

常に喧噪の中にいるようで、元気なら良いけれど、確かに田舎のほうが良いかもしれない。

そして、電車でタージマハルのあるアーグラーに向かった。

続く


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