ヒンズー教の聖地バラナシ、以前はベナレスと呼んでいました。
このガンジス川のほとりに、マニカルニカー・ガードと呼ばれる火葬場があり、
ここで焼かれるのがヒンズー教徒にとっては、輪廻から解脱する最高の喜びのようです。
貧しい者は、薪が買えないので、お金のある人と、一緒に焼かれると聞きました。
巡礼者も多く、沐浴する姿は日常にあり、その水を持って帰る人もいると言う。
焼かれた死体や灰は、そのまま、ガンジス川に流される。生と死が混沌としてる街です。
街は迷路のようで、日本語の矢印をそのまま辿り、安宿を見つけました。
屋上の個室が空いていて、日当りも良く、やっと落ち着いた。
それでも、お腹すいて、食べると、超特急のように、すぐ下す。
できるだけ刺激のない食事をと思うが、ここはインド、カレーや香辛料の無い食べ物などありえない。
しばらくすると、それが当たり前のように、食べたら用を足す感覚に慣れてきたが、体力は落ちた。
シャワーを浴びる度に、どんどん瘠せていくのが分かる。
まあ、いいかと開き直るだけ、元気になっていた。
バナラシは意外と楽しかった。
ずっとネパールにいたので、何だか都会に来たようで、人の多さも心地良かった。
相変わらず、下痢は治まらないけれど、さあ、これからどうしようと、思案していた頃、
ガンガーに移って4~5日くらいだろうか、ツレに再会した。
別れて間もないのに、朝のガンガーで彼を見つけた時、何だか懐かしかった。
それより、何より、自炊道具と味噌、醤油が欲しかった。
ネパールのカトマンズには、ナチュラルフードストアがあり、そこで味噌や醤油が買えた。
スエーデン製のケロシンストーブのコピー商品が、カトマンズで売られていて、
多分、インド製だったと思うが、重宝しました。
その後、日本でキャンプ用に購入し、
ネパールで買ったケロシンストーブは帰国するまで愛用し、1989年にネパールへ行った時、売りました。
静養するなら静かな場所がいいと、アドバイスを受け、ツレとプシュカルまで、同行することにした。
口論するのは、目に見えていたけれど、このままずっとバナラシで過ごすのも、疲れる。
常に喧噪の中にいるようで、元気なら良いけれど、確かに田舎のほうが良いかもしれない。
そして、電車でタージマハルのあるアーグラーに向かった。
続く