海外の旅(7年生)でも出来るだけ現地の宗教と親しむようにし、平和行進ではあらゆる宗派の人達と一緒に歩き、個人的には旅人を良く歓待してくれるイスラム教には随分お世話になりました。
日本でも一時期、福島でEMの普及活動をする上で現地の人々と広く交わる必要から、手当たり次第に入会しました。
それは、創価学会、エホバの証人、統一教会、真如苑で、これらは安心感を求める福島の人々の間に広まって行っておりました。
私は前回も書きましたが、宗教のもたらす最高の徳は慈悲と寛容だと考え、宗教哲学のゴールは科学と宗教の融合だと考えております。
そういう訳で宗派くらいは自分の中で融合できなければ先へは進めず、そのモデルを長崎の浦上(裏神が地名の由来)に描き出そうと思いました。
長崎にイエズス会がキリスト教を伝えたのは1549年で、フランシス-ザビエルによります。彼はフランスとスペインの間で常に争われて来たバスク公国の出身で、「聖フランシスの祈り」はサラ-マクラフリン(アメリカの人気アーティスト)が歌にするほど有名です。
フランシスはイエズス会の創立メンバーでもあり、これはルネッサンス後のパリで生まれた会であって、当時進歩的とされたプロテスタントですら堕落したとして生まれた、カソリックへの回帰主義的な宗派です。
イエズス会は科学的な真理を大事にする宗派としても知られ、今でも世界中で一万もの学校を経営しております。
この出来たばかりの理想主義的なキリスト教が長崎に伝わって間もなく、1587年には秀吉によって禁教とされ弾圧されます。以後ずっとクリスチャンは地下に潜り続けて、幕末に外国人が長崎に教会を建てた時にカミングアウトして来た浦上クリスチャン(1865年 世界的ニュースとなる)も皆捕まり、村民3384人全員が流刑となりました。
この流刑は旅と呼ばれ10年余りも続き、浦上に戻れたクリスチャンは半数程でした。お清はこの旅の途上で産まれ、ここから物語の世界に入って行きます。
浦上村は人が住まなくなって荒れ果てそうになりますが、一人の雲水が住み着いて村を守ります。彼は心に傷を負った多くを語らない禅僧で、そのストイックな生活スタイルはどんな土地にも安住の地を創り出せ、彼のような時代の波に洗われた雲水を浦上に留めます。
その一人が慎語の父親となる新之助で、彼は幕末の動乱期に家族に連れられて江戸から北海道に行き、そこで色んな苦労を積んだ後に大陸雄飛を目指して長崎まで来ます。
時に1894年、日清戦争が始まる直前で、歳はお清と同じく24歳。彼女は学校(寺子屋が学校に変わったのは80年代)で教師をしており、新之助もそこで子供に英語を教えた事から二人は結ばれます。
始めの章「新」は新之助の目を通して語られ、お清は大陸雄飛を忘れさせる程の魅力的な女性として映ります。
彼を捕らえたのは女性の美徳の中でも最も高貴な、細やかにして大きい慈悲と寛容の心でした。
二人は子ども達の応援も受けて電撃的に結ばれ、お清のお腹に慎語が宿った所で次の章「清」に移ります。
今回はかなり話しがゴタゴタしたので、ここまでと致します。