この歌もアルバム「ライト-リバイバル(光復)」に入れて解説しましたが、カントリーで一番人気だったディクシー-チックスが、この歌を最後にグループ名からディクシー(アメリカ南部)を外したコトも以前に語りました。
それは、イラク戦争に反対した彼女達を「ディクシー」が迫害したからで、ブッシュ(共和党)の基盤である「南部」は今だに剣呑な銃社会です。
アメリカで民主党が勝利したのは、こうした野蛮な社会に対する反感が強まったからで、そこには今も音楽シーンのトップを走り続けるザ・チックスの影響も大いにあると思います。
そんなディクシー-チックス最後の曲「私は望む」では、人が人を殺さなくなる世界を望んでいます。
それは聖書の「汝殺すなかれ」から引用しており、敬虔なクリスチャンならば戦争に反対すべきだと訴えています。
私もそんな世が来るコトを望んでおり、日本はその意味では特出した先進国と言えます。
しかし先進国では時代遅れ的な死刑制度がまだ残っており、「法」はあくまでもサービスであり、そこでは「愛」が基本となるべきだという理念がしっかりと確立されていない感は受けます。
それでも死刑執行のダントツ世界一は中国であり、そこでの「法」には「愛」など全く感じられず、ただ「人が人を支配する為の法」と化しています。
党に叛いた者は抹殺されるのが当然とされ、それはノーベル平和賞を取った法律家(劉暁波)ですら免れ得ませんでした。
今回は前置きまでにして物語には次回から入りますが、チベット蜂起に於いて旗頭のターシャは「不殺生」を掲げ、それを貫徹する物語にしたいと思っています。