前回に引き続き、チベット蜂起軍の「不殺生」の戦いを描くに当たり、前置きを書かせて貰います。
私はいま鹿児島の西郷隆盛の墓(神社と公園になってる)に居るので、まずはこの日本最後の内戦についてのクールな記事を載せます。
西郷公園墓には「意味の分からない戦争」によって死んで行った若者達も合祀されており、その愚かしさを痛む碑も立っています。
その中には宮沢賢治の「世界中の人が幸せにならなければ、個人の幸せなどあり得ない」という詩碑もあり、殺し合いの愚かしさを一番よく表現していると思いました。
鹿児島市の隣の知覧町には「特攻平和会館」もあり、昨日行って来たのですが、ハッキリ言って共感出来ませんでした。
それは当時日本最強の戦闘機乗りだった人についての本「最後のゼロファイター」を読み、その英雄は特攻などという愚かな戦術に真っ向から反対していたからでもあります。
しかしそもそも戦争自体に反対すべきで、それが出来ずに「意味の分からない戦争」に加担させられてしまったならば、せめて人の命を奪わないコトを第一の目標とし、自分の命と同じ様に大切にするのが美徳に思えます。
話をチベット蜂起軍に振りますと、僅か3000人程の彼等には勝利など始めから望めず、命を差し出すコトになるのは分かり切っていました。
そんな彼等が第一の目標としたのは、支配者である漢民族の心を揺り動かすコトで、それには自分達を殺しに来る兵士達の心も含まれます。
なので彼等を殺すコトは厳重に戒められ、もちろんそれは戦いを不利にしますが、それでも蜂起軍は3ヵ月持ちこたえて「戦場からのライブ配信」を続けます。
「戦いの女神カーリー」がゲーム-チェンジャーとなって反転攻勢に移ってからも、死傷者を出さずに核ミサイル基地を占領し守備兵はみな捕虜にしました。
ここで中国共産党(ドン)も危機感を抱き「宇宙戦争」に踏み切ったので、軍事衛星を通じての「ライブ配信」は出来なくなり、兵糧も絶たれて蜂起軍は追い込まれます。
1ヶ月間ほど行われた和平交渉も成果は望めず、ドンは蜂起軍が空腹によって士気を失うのを見計らっていました。
そしていよいよ最後のトドメを刺す時をドンは定め、次回からは進行形で戦場に入って行きます。