やっぱり雨が降り、かなり辛かったのですが、キャンパーは30人程いて小屋もあり心強かったです。
話を物語に移しますと、前回でチベット人が戦いに散って行くコトへの「はなむけ」は出来たかと思うので、次に一緒に戦うウイグル人のムジャヒディン(聖戦士)への餞を考えます。
ウラン鉱山の蜂起時には300人程いるとしたウイグル人は、防衛戦でその大半が散って既に30人程になっているとします。
そうした彼等のメッセージをターシャは特に重視してアップし、チベット人とウイグル人の共闘をアピールします。
因みに無邪否定という当て字は中共のモノとは異なりますが、「定」をディンと読むのは中国語を習った人ならご存知でしょう。
ムジャヒディンについては、「イスラム国」や「タリバン」などの悪い印象を持たれる方が多いかと思いまが、私はそんな彼等の中にも正義が在るコトを認める者です。
それは「神の元の平等」という正義で、「人が人を支配する世の中」への徹底的な反抗精神です。
「イスラム国」は世界のイスラム教徒が一つになり、古い人為的な国境を無くそうと訴え、これは曾ての共産主義が訴えていた「プロレタリアの団結により国境を無くす」と共通しています。
こうした「主張」は未来志向でとても善いと思いますが、現実にはまだまだ「夢物語」で、共産主義の夢は既に終わってしまった感もあります。
中共は原始(略奪)資本主義の道を進んでおり、イスラム国も全く他のイスラム圏からの支持を得られていません。
こうした「理想が裏切られた時代」においてなお、ウイグル人の無邪否定は世界のイスラム教徒に聖戦への参加を呼び掛けます。
それは人が人を支配する邪悪な世への闘いで、世界は神の支配により一つになるべきだと主張します。