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Psychiatric Assessment from the Perspective of Personality Profiling
エピローグ(epilogue)
日本人の第三次産業の宙吊り状態から起こっている「幼児化」と「痴呆化」
特異性は、発言のなかの「虚偽の強弁」にあります。この「虚偽」はどこから出てきたのか?というと、あくまでも≪性格プロファイリング≫の問題なのです。日本人の第三次産業の足場が大きく揺れて「大地震に直面していることと同じような危機にぶつかっているということの象徴的な意味が「母系制」の病的な「虚偽」の意味であるといえましょう。
「社会性の言葉」というものがある、ということを、プロローグ(prologue)でお話ししました。それは、「経済的な価値」に裏付けられた「社会的な信用」という価値のある言葉のことでした。日本の『社会性の言葉』とは、「国家公務員」の資格をはじめとするさまざまな『事業』の免許や規制が代表的なものです。これまでの日本では、これらの資格や免許を所有しているだけで、「経済的な収益」が得られるという「社会的な価値」を実現してきました。この本質は今も変りませんが、日本に現存する伝統的な「社会性の言葉」の「経済的な価値」が、東日本大震災、南海トラフ巨大地震のような衝撃に縦揺れに揺さぶられているといえます。
これまでの≪性格プロファイル≫の考察で、「社会性の言葉」とはじつは≪左脳の言葉≫である、ということがご理解いただけたことと思います。『資格を取得する』、『仕事の経験』ということは、≪左脳の言葉を取得する≫ことと同義でした。この取得とは、母親が教える幼児語という≪右脳の言葉≫の学習を経て、学校教育という≪社会性の左脳の言葉≫の学習を段階的に辿り、やがて、『資格』なり『免許』を取得できる水準に到達する、というようにたどられています。
「取得」された≪社会性の左脳の言葉≫は、市場の消費者のなかに入ってきて、市場を支える≪幼児語という右脳の言葉≫に、「社会的な信用と経済的な価値」を裏打ちした≪右脳の言葉≫を語りかける、ということを実行できて「経済的な価値」を実現し始めていました。
現に今も、このように行われています。そのためには、≪左脳の言葉≫に対応する≪右脳の言葉≫が独自に訓練されなければなりません。この学習訓練に相当するのが、小説家であったり、映画・テレビ・劇・評論・批評・エッセイなどです。第二次産業という第三次産業の足場が崩壊しつつあるということは、このような小説や映画・テレビ・評論といった≪右脳の言葉≫も行き場や方向性を喪失しているということになります。
すなわち、左脳の言葉に対応していると信じられてきた≪右脳の言葉≫が、社会的な言葉としての信用や価値を表現しきれなくなっている、ということです。このことは、日本人に独自の≪幼児語の右脳の言葉を、成育歴の中で母親から教えてもらわなくて成長した小学生・中学生・高校生・大学生、そして社会人も、小説や映画・テレビ・エッセイなどによって学習していた≪右脳の言葉≫を憶えたり、学習したり、「書き言葉」として習得するということが無意味に感じられて、「これから先、どのような社会的な価値のある関係を、どのようにつくっていけばいいか分からない」という不安が「脳神経」のレベルでの病理を噴出させている、ということでもあります。これが、成育歴の中で、母親や父親との関係の中で『扁桃核』が価値決定し「右脳の中の妄想のバッド・イメージ」と左脳の言葉に対する緊張による右脳への猛毒ノルアドレナリンの分泌の強制です。あるいは、虐待などによる≪大脳基底核≫が、アル中・麻薬などの本人も中止したいのに中止できない孤立した個人レベルの快感の享受という脳神経学的な遠因にもなります。これが、右脳のバッド・イメージから引き起こされ、生理的身体の「知覚系統の異常の症状」など自己崩壊の原因です。
ゆえに、≪性格プロファイル≫の示すところによれば、成育歴の中で≪右脳の言葉≫を母親から教えてもらわなかった人は、このことが心的な原因となってぶつかった≪右脳の中のバッド・イメージ≫や≪生理的身体の知覚系統の病的な異常≫にぶつかって、これを避けるために≪幼児語≫という右脳の中に自覚的に退行化していきます。
そして、成育歴の中で≪右脳の言葉≫を母親から教えてもらった人は、学校教育という左脳の言葉を段階的にたどっていった行き着く果てには、「社会的な言葉の経済的な価値」がすっかり消失してしまっている、という超円高に直面した時に、老人が子ども帰りになるように、「幼児化」と「痴呆化」に陥ることが予測されます。
≪性格プロファイリング≫の真価は、これらのすべての病的な問題の所在を明らかにすることから、まずは問題の半分を解決するというように威力を発揮します。
結びの言葉
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
人はなぜ犯罪を犯すのでしょうか?
人はなぜ幼児を虐待するのでしょうか?
人はなぜアルコール中毒になるのでしょうか?
人はなぜ麻薬を止められないのでしょうか?
私自身は、小学5年生の時期に、教室で犯罪被害に遭いました。
実行犯人は、男の子です。示唆した犯人は女の子たちグループです。
一番怖ろしい犯罪者は、教室の担任の先生です。
しかし、彼らは、犯罪を楽しみながらも、世間の目が怖くてたまらない、小心者でした。
あの日、犯罪を認めて、私の父に謝罪し、問題を解決しておけば、こんなに長い期間、私に憑き纏う必要もなかったでしょうに。彼らは、彼らの本性が、公になるのが怖くて、白日の下に晒されることが怖くて、その反動で、私のあらを探して、いくつもいくつもの欠陥を指摘せずにはいられなかったのです。彼らの心の暗黒の秘部とは、そういうものでしょう。そして、また、私も、彼らを犯罪者の集団としか見ることが出来ませんでした。一度壊れた信頼関係は、どんなに強引に引き寄せても、二度とは戻らないのです。しかし、今となっては、このデジタル社会に、彼らの居場所はないでしょう。まずは見つからないと思います。なぜなら、彼らには話す言葉がないから、です。「書き言葉」が書けないということは、話す言葉がない、ということです。彼らに正しい「書き言葉」が書けるとは思いません。一番大切な学習を怠って、生きてきた人たちですから。今でも、私が、デジタル社会で何を話し始めるのか?彼らはビクビクして覗いているかもしれません。しかし、私が、このデジタル社会で、遠くにいる人たちと、理想的な関係を構築できたとしても、彼らに割り込む余地はないのです。
ちなみに、彼らの犯した犯罪とは、女児を後ろから突き飛ばして、横倒しにして、引きずり回すという粗暴な虞犯なのでした。犯罪を犯した彼らは、英雄気取りでした。「男はこんなに強くて怖ろしいものなのだぞ!わかったか!!」と嘯いていました。だから、犯罪者なのですよ。そこが、犯罪心理なのですよ。学校の先生といっても、自分の身が可愛いのです。役に立たない子どもは要らないのです。何度も転校させるように陰険な苛めを唆しました。自分の教え子が、自分の教え子に犯罪を実行した。にもかかわらず、謝罪するどころか、再教育するどころか、犯罪被害者を悪者扱い、要らない子どもと烙印を押して、切り捨てたのです。こんなに最低な人間に囲まれて、私は生きてきたのです。先生お気に入りの優等生といっても、その心の中まで清廉ではないかもしれません。まったく、わからないのですよ。人間はあべこべなのです。人間のパーソナリティとキャラクターと、暗黒の秘部は、見た目で決められるものではありません。
それでは、皆様のご健康が守られますよう心よりお祈り申し上げます。
ありがとうございました。
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