クリスチャンって最高だ!より
滝元順さん著
《死後の世界の現実》
ある金持ちが贅沢に遊び暮らしていました。しかしその玄関先に、「ラザロ」という、体中できもので覆われた病気の乞食がいました。ラザロは、時折、金持ちの家が捨てる、食べ残りを拾って生きていました。
時は流れ、やがてラザロも金持ちも死にました。ラザロの死に関しては、誰も注意を払いませんでした。しかし、金持ちの死に関しては、盛大な葬式が行われ多くの人が参列したことでしょう。
けれどもこのストーリーで興味深いのは、対照的な二人の人物の死後にまで言及している点です。ラザロは地上で何も持っていませんでしたが、神を信じていました。その結果、ラザロは瞬時に、慰めの場所、パラダイスにまで引き上げられたのです。
一方、金持ちは地上においては人もうらやむ生活をしていましたが、神を信じない横柄な男でした。彼が死んだ時、何が起こったのでしょうか。彼は瞬時に、ハデスと呼ばれる「苦しみの場所」、分かり易い言葉で言えば「地獄」に落とされたのです。
金持ちはハデスから苦しみのあまり天を仰ぎました。すると、そこにはかつて金持ちの玄関先で物乞いをしていた、ラザロの姿が見えたのでした。彼はラザロと共にいたユダヤ人の元祖であるアブラハムに、ラザロをハデスに遣わし、舌を冷やしてくれるように頼みました。しかし、その答えは、「私たちとおまえたちの間には、大きな淵があり、ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ超えて来ることもできない」というものでした。
それでもあきらめきれない金持ちは、「ラザロを生き返らせえて、こんな苦しい場所には来ないようにと、家族や親族に伝えてほしい」と訴えましたが、いずれも聞き入れてもらえませんでした。
この不思議なストーリーから学べることは、神の領域から苦しみの場所、「ハデス」への行き来はできないばかりか、死者は、「死後の世界から地上に意志を伝えることも、地上への願いを実現することもできない」ということです。
要するに、「死後の世界から、生ける者たちの世界へは、行き来も、互いに影響を与え合うことも、全くできない」ということです。