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わが国においてなぜこれほど節操のない宗教観が芽生えたのか?
という疑問があります。
正月に初詣(神教が主)
クリスマスを祝い(キリスト教)
葬式はほぼ(仏教)
その他、節分やらハロウィーンやらなんでもあり。
外国人からは理解できないとか・・・
でもそれは仕方ないですよ。
いろいろ解釈はありますが、その1つとして、
国家宗教となりえた「神教」は
多神教であります。つまり神様がいっぱいいるということ。
キリスト教やイスラム教は一神教で崇める対象が分かりやすい。
同じ多神教のギリシア神教はゼウスが最高神であると規定
していますのでなんとなく分かりやすい。
では日本の神教はどうか?
最高神は天照大神であるかのようにも思えますが・・・
神教のことを神話時代の話として
いろいろ書かれているのが
日本最初の文書「古事記」です。
ご存知の方もおられると思いますが、天照大神は最初に登場した
神ではありません。
最初に登場した神とは、
天之御中主(あめのみなかぬし)であります。誰それ?
ってかんじでしょう。
しかもその天之御中主は出てきてすぐに去ります。(なんじゃそりゃあ)
その後30神ほど出てきて、
やっと伊邪那岐(いざなき)、伊邪那美(いざなみ)が出てきます。
その二伸がまたたくさんの神を生んで
ようやく天照大神が出てくるのです。(遅いわ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_7.gif)
したがって神教は多神教でも最高神がはっきりしない。
天之御中主?伊邪那岐(いざなき)、伊邪那美(いざなみ)?
天照大神?と
さらに決定的にまずい事が古事記神話に書かれています。
古事記口語体からそのまま抜粋します。
「伊邪那岐(いざなき)、伊邪那美(いざなみ)の二神は契りを交わし身体に不自由のある水蛭子(ひるこ)を生んだ。二神はいやだったので葦の舟に乗せ流した。
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次に淡嶋(あわしま)を生んだが、この子も障害があったので、自分達の子とは認めなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_cloud.gif)
神にあるまじき行為と言わざるをえません。
まだ続きます。
「火之迦具土の神(ひのかぐつちのかみ)を生んだとき女陰に大火傷を負って、くやしかったので首を切り落とした」ときたもんだ。
このような神々の行いを、ある程度、発展した文明人は崇拝できるはずもなく
残念ながら我が国では、神教は発展することがなかったのではないか?
なーんて思ったりします。
古事記を編纂した人、もう少し考えてくれれば・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_3.gif)
【ヒゲ親父】