きのうはどういう風の吹き回しか、長男夫婦が我が家にやってきた。会社の盆休みの最終日に、ひとつ親孝行をと考えたようだ。
これまで盆正月は、娘が夫と子ども(孫)たちを連れてファミリーで来ることが多く、長男夫婦が顔を見せることは少なかった。今年のお盆は逆転現象が生じた格好である。
まあ、来る者は拒まず、去る者は追わずである。娘たちが来なくても、特に言うべきことはない。
久々に見る長男夫婦は、どちらも元気そうで、恙なく暮らしているらしい。相対して見る40代の夫婦は、そこそこお似合いの好カップルのように見えた。
彼らとは特段話題にするようなこともなく、会話といえばとりとめのない下世話な話ばかり。たぶんこれが日常であり、平和というものなのだろう。幸せはきっと退屈と背中合わせなのだ。
古希を過ぎたジジイの齢ともなれば、そんな幸せな(間延びした)時間をじっくり味わう術を身に着けてもいいのに、と思う。いつまでも三島由紀夫の初期作品の主人公のような、ガキっぽい青瓢箪の気持ちではいられない。もっと「成熟」しなければ。
長男夫婦に子どもはいないから、こんなときは、いかにもジジイらしく、話題提供の一環として「孫はまだか?」と訊いてみるのも一つの手だったかもしれない。
だが、そんな話題は事によると二人を切ない気持ちにしてしまうかもしれない。それに私自身、孫の姿を見てもさして嬉しいとは思わないだろう、とも考え、この話題をあえて口にすることはしなかった。
イタ車のフィアットに乗って2時間かけ、昼過ぎの2時頃わが家に来た息子夫婦は、夕方6時頃、東京に帰っていった。
4時間車イスに座っていても私の腰は痛くならなかったから、私の身体は(たぶんデイサ通いのおかげで)少しは鍛えられているのだろう。
これまで盆正月は、娘が夫と子ども(孫)たちを連れてファミリーで来ることが多く、長男夫婦が顔を見せることは少なかった。今年のお盆は逆転現象が生じた格好である。
まあ、来る者は拒まず、去る者は追わずである。娘たちが来なくても、特に言うべきことはない。
久々に見る長男夫婦は、どちらも元気そうで、恙なく暮らしているらしい。相対して見る40代の夫婦は、そこそこお似合いの好カップルのように見えた。
彼らとは特段話題にするようなこともなく、会話といえばとりとめのない下世話な話ばかり。たぶんこれが日常であり、平和というものなのだろう。幸せはきっと退屈と背中合わせなのだ。
古希を過ぎたジジイの齢ともなれば、そんな幸せな(間延びした)時間をじっくり味わう術を身に着けてもいいのに、と思う。いつまでも三島由紀夫の初期作品の主人公のような、ガキっぽい青瓢箪の気持ちではいられない。もっと「成熟」しなければ。
長男夫婦に子どもはいないから、こんなときは、いかにもジジイらしく、話題提供の一環として「孫はまだか?」と訊いてみるのも一つの手だったかもしれない。
だが、そんな話題は事によると二人を切ない気持ちにしてしまうかもしれない。それに私自身、孫の姿を見てもさして嬉しいとは思わないだろう、とも考え、この話題をあえて口にすることはしなかった。
イタ車のフィアットに乗って2時間かけ、昼過ぎの2時頃わが家に来た息子夫婦は、夕方6時頃、東京に帰っていった。
4時間車イスに座っていても私の腰は痛くならなかったから、私の身体は(たぶんデイサ通いのおかげで)少しは鍛えられているのだろう。